スコップで残念石の周囲をきれいにする参加者たち
江戸時代初期の大坂城再建で石垣用として切り出されたものの、京都府の木津川河川敷に残された巨石「残念石」の学習会が4日、木津川市山城町の開橋上流であり、参加者約20人が土砂に埋もれた残念石の周囲をきれいにするなどした。
残念石は、再建を任された藤堂高虎が切り出した石材の残りで、木津川の各所に残っているとされる。開橋上流には9個残り、かつては全部見えていたが、ダム建設などで川岸の土砂が流されにくく、たまりやすくなり、大半が埋もれた状態になっている。
学習会は、流域住民でつくる「木津川管内河川レンジャー」が川の変化や残念石の歴史を知ってもらおうと昨年に続いて開催。参加者がスコップなどで土砂を払うと、石5個が姿を現した。精華町祝園の西村正彦さん(72)は「子どものころ、残念石から川に飛び込んだことを思い出した」と懐かしそうに話していた。
学習会は同市加茂町でもあり、参加者は残念石に刻まれた文字や印を写し取る拓本を体験した。