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「大炊殿」関連遺構か 京都御苑近く、平安後期の雨落ち溝発見

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 (大炊殿に関連するとみられる雨落ち溝の石列)



京都市中京区の丸太町高倉南西角の発掘調査で、平安時代後期の建物跡が19日までに見つかった。東西方向の石列が良好な状態で確認でき、建物の軒先から落ちた雨を受ける雨落ち溝の遺構とみられる。鳥羽天皇(1103~56年)が少年時代に一時的に住んだ大炊殿(おおいどの)(洞院殿)に関連する可能性があるという。

 民間調査会社の「アルケス」(山科区)が6月~9月上旬、約420平方メートルを調査した。

 雨落ち溝は幅1・1メートルで、5・8メートル分の長さを確認。直径数十センチの石が平らな面を上にそろえ、整然と並べられていた。石列の中央部は石がまばらで、土がむき出しになっていた。西端は南に曲がっているとみられ、同社の持田透代表は「建物の北西角辺りの雨落ちではないか」と推測する。

 市文化財保護課によると、平安時代の石を敷いた雨落ち溝は、平安宮の内裏(天皇の住居)や貴族の邸宅を利用し天皇が住んだ里内裏など、格式の高い建物跡でしか見つかっていないという。

 調査地は12世紀、白河上皇が主導し、貴族の宅地に、西隣の敷地にあった大炊殿を移設したとされる。内裏を簡易的に模した邸宅で、鳥羽天皇が1112年に移り住んだが、2年後に焼失したことが、貴族の日記に記されている。

 見つかった石の表面や周囲の土には、火災の痕跡とみられる焼けた跡があった。京都大の西山良平名誉教授(日本古代・中世史)は「史料や遺構の状況から、大炊殿に関連する可能性は高い。短期間のみ利用した邸宅でも、立派な設備だったことが分かる貴重な発見だ」と指摘する。
 発掘調査はすでに終了している。


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