(京都新聞10・10)
何とも京都の奥深さ・・・というかよそ者には理解しがたい難しい習慣を特集してくれました。
(水をまく奥村さん(左)と藤井さん。お隣同士、世間話に花を咲かせることもしばしば)
京都の習慣の一つに、自宅前の「門掃(かどは)き」「水まき」がある。やり方に明確なルールはないが、近隣の一部もちょっと掃除し、水をまく。この「ちょっと」に、京の街で暮らす人々の知恵が潜んでいるのでは。メジャーを手に、早朝の市内を歩いてみた。
上京区の西陣地区を訪れると、ほうきを手に道端で話し込む2人の女性を見掛けた。奥村京子さん(82)と藤井芳江さん(85)は自宅が隣同士。門掃きについて聞くと「朝6時に家の前を掃いて、水をまいいてます。毎日の習慣で、もう何十年もやね」と藤井さん。奥村さんは「家の中は汚うても、門(かど)はきれいにしておく」とさらりと言って笑う。
旧出水学区の丸岡紀子さん(83)=同区=も門掃きは日課。範囲は、自宅の間口より左右約1メートルずつ広く掃くという。祇園東の近くで生まれ育った丸岡さんは「おばあちゃんから『隣も、ちょっと、掃かんとあかんえ』と教わった」と話す。
門掃きは、自宅の間口の幅と、道路の半分までの範囲を基本に、向こう三軒両隣の一部もするのが一般的。どうせなら一部と言わず、近所も広く掃けばと思うが、そう単純な話ではないらしい。
下京区の六条商店街で和菓子店を営む松本直通さん(68)は「おせっかいや、当てつけになる」と、両隣への“侵蝕”は控えめ。洋服店の長谷川寛さん(75)は「やり過ぎると、『ほっといて』と言われるかもしれん。京都の人はなかなか難しいですよ」。間口外を掃くのは30センチ程度にとどめているという。
一見、冷たく無関心に感じる「ちょっと」。だが、その根底には隣近所とはいえ、余計な気遣いをさせないという配慮と、長く付き合っていく上での深い知恵が垣間見える。
一方で、近年の変容ぶりも浮かんできた。家庭用品店を営む生田豊子さん(71)=下京区=は「門掃きをする人が少なくなった。ほうきの売れ行きは以前の10分の1」と嘆く。上京区のある男性(84)は「近所付き合いが薄れているからでは。転入してきた人はしないし、年寄りにとっても面倒になってきている」と打ち明ける。
さらに、こんな人も。下京区の古い町家に暮らす男性(73)は、両隣が空き家になり、今では自宅前も含め3軒分を門掃きしているという。「空き家だと分かると物騒だから」と、無人の家の玄関先に花の植木鉢も置いているそうだ。
最後に、市民20人に尋ねた門掃きの範囲の平均値を計算してみた。結果は、間口の1・76倍、道幅の半分の1・36倍。意外に広いと感じたのは、私だけ…?
◇
京の街では、長い歴史に培われた独特の習わしや知恵、信仰などが、今も人々の暮らしの中に根付いている。故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る-。記者がそれらを実際に調べ体験し、現代の生き方を考えるヒントにしたい。