父か新調した「檜垣」の水桶を手に、思いを語る片山九郎右衛門
質実にして気品漂う至芸で、京の能楽界を率いた観世流シテ方の片山幽雪(1930~2015年)。その三回忌追善公演が10月29日、京都観世会館(京都市左京区)で開かれる。
長男の片山九郎右衛門(52)が最奥の秘曲「三老女」の一つ「桧垣(ひがき)」を披(ひら)く(初演する)。節目の舞台を前に「『どんな時代になっても、能がしぶとく残っていけるように』との父の思いを正直に継いでいきたい」と語る。
「桧垣」には「因縁」めいた思いがある。2013年秋、同じく三老女の一つ「姨捨(おばすて)」を披いた。「子どものころ以来、久しぶりに手足を取って(動きを)直された」稽古を経て、ようやく大曲をやりおおせた夜、珍しく父も交えて遅くまで飲んだ。「三老女を全部披いてくれ」-。父の「半ば冗談、半ば本気」の一言に面食らった。
最奥の「三老女」を全て手掛けたシテ方は、父を含めごくわずかだ。「できひん」とかわそうとするも、引き下がらない。「『桧垣』ならいずれは…」と答えると「言うたな!」。たちまちその場にいた役者たちを「証人」にしてしまった。「生きている間に、一曲でも自分の目で見て、意見したかったのでしょう」
それから1年余り、父は突然逝った。葬儀などを済ませ、10日ほどたったある日、能の道具を手掛ける職人がやって来た。「こんなときに申し訳ないのですが…」と差し出したのは水桶(おけ)。「桧垣」だけで使われる特別なものだった。描かれている白波の青の色が気に入らず、父が直しを依頼していたのだという。「三回忌の折に」と腹をくくった。
肥後の僧のもとに、毎朝仏前に供える水を運ぶ老女は、美しい白拍子だった過去と死後の苦しみを語り、思い出の舞を披露する-。追善の舞台を前に、改めて父の芸について考える。「舞台に誠実。こつこつと正直に積み上げていく稽古でした」。年齢を重ね、体が衰える中で、アイデア先行で手を入れるのではなく、同じことを繰り返すなかで、できること、できないことの塩梅(あんばい)をつかんでいく。「それが舞台上のリアリティーにつながっていた」
父の死去は、命の限りを意識させた。自身も50代になり「いろんなことをできるのは、どう頑張ってもあと20年くらい。何かの作品をきれいに作りあげて死んでいけるとは思えなくなってきている」と打ち明ける。「自分がここまでやったから、その次は誰かがつないでくれる。そんな人に伝えられる芸風を確立しなければいけない」
この秋は大曲に挑む機会が続く。京都公演に続いて東京での追善能では片山家を象徴する「三輪 白式神神楽」を手掛ける(11月19日・国立能楽堂)。初演から50年を記念した新作能「鷹姫」の上演(10月22日・京都観世会館)では、過酷なスケジュールも承知で自ら出演を申し出た。「自分たちが今やりたいことって何だろうと考えて。一つもおろそかにせず、きちんとやりおおせたい」。家と京都の能を次代へと受け渡す決意は揺るがない。=敬称略
■京都公演は10月29日
追善能の京都公演は10月29日正午開演。「桧垣」をはじめ、観世銕之(てつの)丞(じょう)、淳夫親子による「恋重荷」を上演。ほかにも観世流宗家の観世清和の一調「芭蕉」、人間国宝梅若玄祥の舞囃子(ばやし)「山姥(やまんば)」、金剛流宗家の金剛永謹による仕舞(しまい)「江口」など、豪華な顔ぶれがそろう。
片山家能楽・京舞保存財団075(551)6535。