Quantcast
Channel: DUKE Train
Viewing all articles
Browse latest Browse all 23218

ベトナム女性「父の古里、日本見たい」 京都の男性が来日支援

$
0
0

マリコさん(3月、ホーーチミン) 


太平洋戦争の終戦前後に生き別れた日本人の父を探すベトナム人女性の来日を、京都市のフォトジャーナリストの男性が計画している。父は日本軍を相手にベトナムで商売をしていたが、母と娘を残して日本に戻ったまま消息は分からない。女性は「せめて一度お父さんが生まれた日本を見てみたい」と希望しているという。男性は来日費を捻出するためインターネット上で賛同者から資金を募る「クラウドファンディング」を始めた。

 ベトナム戦争の傷痕を20年間取材する村山康文さん(49)=左京区。2006年、ベトナム中部の市場で取材中、「マリコ」という日本名を口にするグエン・ティ・アンさん(73)に出会った。「私には日本人の父がいるんです」

 マリコさんや母のかすかな記憶では、父は1943年ごろベトナムに来た。当時30代半ば。東南アジアでの日本軍の拠点だったサイゴン(現ホーチミン市)で日本兵を相手に店を経営していたという。ハム・ギー通りと呼ばれる繁華街にあり、1階は雑貨店、2階はレストランだった。従業員だった母は父と結ばれ、翌年にマリコさんが生まれた。だが、日本の敗戦前後に父はベトナムを離れた。

 手掛かりは「くすはら」か「くずはら」という姓のみ。村山さんは在ホーチミン総領事館や外務省、厚生労働省に情報を求めた。だが、軍人や軍属ではない父の資料は残っておらず、当時を知る人は減る一方。くすはら姓が多い地域を見つけ電話帳を手に電話をかけたことも。10年以上探したが見つかっていない。

 クラウドファンディングの目標額は65万円。渡航費や滞在費に充てる。東南アジアから多くの人が引き揚げた広島県大竹市のほか、舞鶴市の舞鶴引揚記念館などを7月下旬に1週間訪れる計画。父に関する情報があるかもしれない場所へマリコさんを案内する。

 この手法を選んだのは、インターネット上で情報が寄せられることも期待したためだ。村山さんは「戦争に翻弄されたマリコさんのような人がいたことを知ってもらいたい。何とか願いをかなえてあげたい」と呼び掛けている。寄付はサイト「レディーフォー」で受け付けている。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 23218

Trending Articles