祇園祭でにぎわう真夏の京都に文化庁の職員たちが相次いでやってきた。7月11~24日の2週間、文化庁京都移転の準備を進めるにあたり、実際に京都市内で執務を行う“お試し移転”が実施されたのだ。この中で馳浩文部科学相(当時)が移転先候補として突然、京都国立博物館(京博、京都市東山区)を挙げ、地元関係者の間で衝撃が広がった。文化庁の移転先候補は京都府警本部本館(同市上京区)という方向が“既定路線”だったからだ。関係者からは「最初からこれでは先が思いやられる」「思いつきか」とぼやきも漏れた。全面移転は「数年内」とされ、「(2020年=平成32年に行われる)東京五輪までには移転したい」との声も聞かれるが、移転に向けた課題は山積している。
長官は大満足?
各地で計画されている政府関係機関の地方移転の多くが難航する中、唯一、実施が正式に決まっている文化庁の京都移転。政府機関が移転されれば、新たな人の流れや雇用も期待できるとして、地元・関西の政財界関係者はおおむね歓迎ムードだ。
お試し移転が行われていた真っ最中の7月21日、大阪市内で開かれた関西広域連合と関西経済連合会の会合。関経連会長の森詳介・関西電力相談役が「大船に乗ったつもりで来てほしい」と歓迎したことを受け、文化庁の宮田亮平長官は「こちら(京都)に来ることに不安もあるが、大船という一言がどれだけ勇気になったか。心強い」とあいさつした。
宮田長官は翌22日、お試し移転について「実験は非常に実のあるものになった。問題点やいいところを見極めていきたい」と評価。東京の本庁とのやりとりが行われたテレビ会議システムは当初、もっとストレスがあると感じていたというが、「やってみると問題ない」とご満悦で、文化庁サイドとしてはお試し移転に成果を感じている様子だった。
さらに、新産業との連携を行うなど機能強化を担う「地方文化創生本部」(仮称)を京都に先行移転させることを表明。8月末までに具体的な内容を明らかにするとした。
文化庁幹部は「京都府や京都市、京都経済界、文化団体、高等教育機関からも人材を出してもらいたい。30人体制で文化庁が移転してくる意味を政策として企画立案、発信できるモデル的事業にしたい」と意気込む。
「100点」が一転…
文化庁移転をめぐり、新たな波紋を呼んだのは馳氏の発言だった。
7月13日。京都市内を視察した馳氏が突然、「京博の敷地も極めて意義深い」と話し始めた。「(京博には)展示スペース、収蔵庫もある。職員もいるし、修復技術もある。そういう場所に文化庁があれば、一体的で集約的な機能を果たしていくことが可能だ」
ある地元関係者は、急浮上した京博案に「思いつきかよ」と不満を口にした。馳氏は4月、複数の候補地の中で府警本部本館を「100点」と評価していたからだ。
もちろん、文化庁を京都のどこに置くのかという決定権は国にあり、地元の意見が反映されるわけではない。ただ、「8月末までに移転計画の概要をまとめる」というスケジュールがあったため、地元関係者は、馳氏が「100点」と評価した府警本部本館案に絞って準備、関連施設の耐震化の検討などを始めていた。
確かに馳氏の発言も一理ある。ただ、文化庁の移転先をめぐっては、地元関係者たちは複数の候補地を提示しながら、国とのすりあわせを続けてきたという思いもあった。概要発表の直前、新たな候補地案が浮上するとは思っていなかったという。
山田啓二京都府知事も「幅広く適地を探してもらえるのは評価こそすれ批判はない」と語っていたものの、表情は困惑していた。
この一件に「先が思いやられる」と話す関係者もいた。移転先だけでなく、地元自治体の費用負担という大きな課題があるからだ。
建設費用負担の問題も
京都府や京都市、地元経済界は1月、安倍晋三首相に「庁舎建設費用の応分負担」を表明している。費用負担を申し出たのは、国に対して省庁移転の“本気度”を見せるものでもあったが、京都府も京都市も財政事情が良好というわけでもない。
ある府幹部は「(現時点では)初期投資の半分程度と想定している」と打ち明けるが、巨額の税金投入となれば、地元住民の反発も懸念されるという。京都商工会議所の立石義雄会頭も「行政から要望があれば検討する」と述べるにとどめており、経済界からのサポートは未知数だ。
文化庁関係者は、東京五輪に向けた新国立競技場建設について、地元の東京都が4分の1を負担する点について触れながら、「府民の税金から出してもらうとするなら府議会、市議会の了解が必要だ」と話す。
府議会からはすでに、「庁舎の土地提供は理解できるが、建設費用や職員の引っ越し費用まで府民の税金で払う必要があるのか、大きな疑問だ」という厳しい声も上がっている。
「思っていたより大変」
お試し移転に参加する文化庁職員に対し、「京都に住んで、町衆として受け入れてもらい、そういう中から我が国の文化行政に臨む生活の拠点にしてもらいたい」と語った馳氏だが、8月3日の内閣改造で退任。後任を松野博一衆院議員に託した。
馳氏は同日の退任会見で、文化庁移転について「中央省庁(の移転)という意味で言えば明治以来の初めての出来事で感慨深い。この流れを与党側から後押しをするだけ」と成果に胸を張っていた。
松野新文科相は、国会対応機能を損なうことがないことと、文化庁機能がアップすることを前提にしながらも「数年内に全面移転という方針であることは承知している」と述べ、馳氏の路線を継承する姿勢をみせた。
山田知事も文化庁の移転について「大方針は決まっている。新大臣としっかり意思疎通をし、いい移転ができるようにしたい」と影響はないとの見解を示す。
文科相が交代したことが地元にどんな影響があるのかは分からない。ある職員は「思っていたより、大変だ」とため息をついた。