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蔵からお宝、皇族ゆかりの神輿発見 京都・大原

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蔵からお宝、皇族ゆかりの神輿発見 京都・大原


声明の守り神をまつる勝手神社で見つかった神輿。菊の御紋が屋根などに入っている(京都市左京区大原)


         
皇族出身の僧が住職を務めた「梶井門跡」(現在の三千院)が寄付したとみられる江戸時代の神輿(みこし)がこのほど、京都市左京区で見つかった。屋根などに菊の御紋が入り、皇室との深い関わりを裏付ける。同区大原の古文書を研究する住民団体が史料をひもとき、古老の証言を聞きつつ、大原の神社の蔵で保管されているのを発見した。文献でルーツなどを探っており、いまは途絶えている神輿を用いた祭礼の復活も目指す。

 住民団体は「勝林院研究会」で、3月に発足した。勝林院(左京区大原勝林院町)は大原の地で伝えてきた仏教音楽「声明(しょうみょう)」の道場として、1013年に建立された。同研究会は、市歴史資料館に預けられている同院文書をふるさとの歩みを記す史料とみて、デジタル保存と解読を進めている。

 この一環で6月ごろ、声明の神様をまつる勝手神社(同区大原来迎院町)の蔵で神輿を見つけた。全長が約3・6メートルで、屋根には菊の御紋が付き、鳳凰(ほうおう)の飾り金具もあった。神輿の几帳(きちょう)には江戸末期の1845年に「梶井御殿御寄(き)附(ふ)」があったことが書かれていた。同研究会は勝林院を管理した梶井門跡の住職が、神輿や飾りを修復するか新調するかして寄付したとみている。

 研究会の調査によると、江戸時代には4月に年中行事として「勝手大明神祭礼」を催していたとの記録があった。明治時代まで続いていたが、明治政府の神仏分離令をきっかけに途絶えてしまったという。神輿の来歴や用いられ方には不明な点が多く、研究会は文書を解析して明らかにしようとしている。

 勝林院文書は、江戸期を中心に中世や明治期を含めて2千~3千点にも上る。市歴史資料館によると、大原は洛中に近い地域ながら郷土史に未解明な点が多く、文書調査は仏教との関わりや民衆文化を知る手掛かりになる可能性があるという。

 研究会を主宰する上田寿一さん(70)は「文書を通じて日本音楽の原点とされる声明とその守り神、地域や習俗との関わりを読み解きたい。その先に、さとづくりの象徴として祭礼の復興も考えたい」と話している。

(京都新聞)


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