清水小学校内の日本式建築
(台中 4日 中央社)1920年代に早稲田大学に留学し、日本統治下にあった台湾の地方自治の発展に尽力した楊肇嘉氏。楊氏の生まれ故郷である中部・台中市で、日本統治時代に建てられた宿舎が記念館として活用されている。昨年修復を終えた館内には楊氏ゆかりの文物が展示され、人々に歴史を伝えている。
宿舎は1934(昭和9)年~1940年代前半に、清水第一公学校(牛罵頭公學校、現清水小学校)の教職員宿舎として建設された。2008年に同市の歴史建築に登録され、市は2014年から7000万台湾元(約2億5300万円)を投じて修復工事を開始。昨年、供用が始まった。和洋折衷の建築様式が採用されており、館内には畳などが残されている。計6棟で、うち2棟が楊氏の記念館。残り4棟は、同小が教室として使用している。休日は一般開放されており、多くの観光客が記念撮影を楽しむなどしているという。
清水小の黄美玲校長によると、楊氏は1892年に清水に生まれた。10歳から牛罵頭公學校で学び、1926年、早稲田大に留学。留学期間中は台湾人による最初の政党、台湾民衆党の駐日代表として、台湾の地方自治を求める交渉を日本政府と行った。戦後の台湾では国民党政権の下、選挙の監視などを担当。総統府の国策顧問も務めた。1976年に死去。83歳だった。