豊臣秀吉が京都の町を囲むように築いた「御土居(おどい)」の土塁や堀、暗渠(あんきょ)が京都市北区紫野花ノ坊町の発掘現場で見つかった。市埋蔵文化財研究所が10日発表した。堀と土塁を合わせることで9メートル以上の高低差を生みだし、急斜面をつくるなど防御機能を高める工夫がされていた。
御土居は、天下統一した秀吉が1591(天正19)年に築き、総延長約23キロに及ぶ。今回、その北西部を市営住宅建設に伴い発掘調査したところ、南北2カ所で土塁と堀(長さ約10メートルと長さ約44メートル)が見つかった。土塁を貫くように、幅1・5メートルの溝の中央に40センチ四方の溝を掘り、石を詰めて排水機能を持たせた暗渠も1カ所見つかった。
埋文研が、上部を削り取られた土塁の大きさを復元したところ、推定幅約18メートル、高さ3・5メートルあった。土塁の西側には推定幅約18メートル、深さ4・5メートルの堀が掘られ、途中に幅約2・6メートルの通路状の犬走りが設けられていた。堀の底部から、土塁の頂上までを復元した高低差は約9・2メートルにおよび、堀を掘って出た土を、自然の緩やかな斜面に盛ることで約45度の急傾斜をつくっていた。