妙心寺への屏風画料の受取状(京都国立博物館提供)
桃山時代から江戸初期に京都で活躍した絵師海北友松(1533~1615年)の書状が94年ぶりに再確認された、と京都市東山区の京都国立博物館が12日、発表した。妙心寺(右京区)への屏風(びょうぶ)画料の受取状で「当時の絵師の書状は少なく、寺と生々しいやりとりを示す貴重な資料」としている。
友松は近江の武家出身で、狩野永徳に師事したとされる。建仁寺(東山区)の雲龍図(重要文化財)など迫力のある画風の水墨画や、妙心寺の「花卉(かき)図屏風」(同)の華やかな金屏風など多彩な作風で知られる。
書状は1922年に美術雑誌で紹介されて以降は所在不明で、妙心寺の文書調査で今春確認された。縦34・1センチ、横13・5センチで「屏風制作の報酬で銀子1貫目と銀子20枚という過分な額を確かに受領した」と記され、落款が押されていた。
山本英男学芸部長は「画料は現在で236万円ほど。妙心寺所蔵の友松の屏風(いずれも重文)は3双あり、合計金額とすればかなり抑えた価格。どのような意図があったか興味深い」と話す。
書状は同博物館開館120周年記念の特別展覧会「海北友松」(来年4月11日~5月21日)で公開される。