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平氏一門の屋敷跡から墓石の原型が出土 一帯は墓所「鳥部野」か

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発掘調査を基に再現した鳥辺野の貴族の一族墓所のイメージ図。
奥にある方形区画墓の前に笠塔婆が立つ


 

鳥辺野から出土した笠塔婆。石製では国内最古級となる
(9日、京都市下京区・京都産業大むすびわざ館)


 

平安京郊外にあった墓所、鳥部野(とりべの)(鳥辺野)で埋葬された貴族の墓に使われたとみられる平安時代ごろの「笠塔婆(かさとうば)」が京都市東山区の六波羅政庁跡で見つかったと、民間調査会社・文化財サービス(伏見区)が9日発表した。鳥辺野が旧五条通(現松原通)南側に広がり、一帯を拠点とした平清盛の都市開発によって葬送地から姿を変えた変遷を考古的に裏付ける発見としている。

 笠塔婆は墓石の原形で3基が見つかった。うち最大の1基は石製で11世紀半ば~12世紀前半とみられ、国内最古級となる。六角形をした最頂部の笠と軸、四角形の土台が確認され、推定の高さは約1・8メートル。軸にはお経を収めるくぼみ「奉籠孔(ほうろうこう)」(幅約12センチ、奥行き約6センチ)があった。

 調査地は平安末期に平氏一門が屋敷を構えた「六波羅邸」跡(東山区五条通東大路西入ル北側)。8月までの同社の発掘で清盛が活躍した時代に築かれた軍事防御用の堀が見つかり、堀や周辺から笠塔婆のほか、方形に区画されたり、木棺を用いたりした11世紀~12世紀中ごろの墓計7基が出土していた。

 平安期の墓は平安京内では禁止されたため郊外につくられ、鳥辺野が最も知られる。文化財サービスは「平氏による開発で葬送地が武家の拠点に変わり、詳細位置が不明な鳥辺野が少なくとも現五条通から旧五条通にはあったことが考古的に明らかになった」とする。

 元興寺文化財研究所の狭川真一副所長(仏教考古学)は「『餓鬼草紙』の絵は京近郊の墓所の風景を描いたとされ、想起させる遺構は重要な発見と言える。調査地は墓が規則性を持って並ぶなど計画的につくられた墓域だったとみられ、鳥辺野全域において絵のように放置遺体が散乱していた可能性は低い。方形区画墓や笠塔婆を備えた点などから、藤原氏傍流といった貴族の一族墓所があったのではないか」と話している。

 笠塔婆は21日まで下京区の京都産業大むすびわざ館(日曜・祝日休館)で、22日~11月4日は上京区の市考古資料館(月曜休館だが祝日の場合は翌日休館)で展示される。いずれも入場無料。

(京都新聞)


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