東日本大震災が起きた際、日本には世界中から多くの義援金が集まった。では、どこから最も多くの義援金が送られたのか。アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア、韓国……。思い当たる国はいくつかあると思う。だが、それが台湾だということは意外と知られていない。しかも、台湾全土から送られた義援金の総額は200億円にものぼるというのだ。
なぜ彼らは日本に対してそこまで出来るのか。200億円という巨額がいかにして集められたのか。日本と台湾の双方での取材をもとに、一体なにが巻き起こっていたのかノンフィクションノベルとして記した『アリガト謝謝』(講談社)。その著者であり台湾在住歴30年の木下諄一氏に話を聞いた。
◆なぜ台湾は200億円もの義援金を日本に送ったのか
「台湾の人たちはもともと持っているものとして、“近隣の人が困っていたら助ける”という考え方があります。たとえばスマトラ沖地震のとき、私のまわりにも何人か日本円にして2万~3万円とかを当たり前のように寄付している人がいました。我々の感覚からすると、なかなか理解できないかもしれませんが……」
とはいえ、200億円もの金額はそうそう集まるものではない。これについて木下氏は、“相手が日本だから”という要素が少なからずあるのだと言う。
「一概には言えないことを前置きしたうえですが、多くの台湾人が日本に対して好印象を抱いています。日本製品の品質をはじめ、日本人と一緒に仕事をしたことがある人でしたらその勤勉さを尊敬しています。戦前の日本統治時代を知る人たちであれば、その頃がすごく良かったと感じていたり、懐かしくも思っていたり。若い世代に関しては、子どもの頃から日本のアニメに慣れ親しんでいます。もはや日本のものは、すでに“自分たちの文化のひとつ”にもなっているんです。彼らは、私たちが思っている以上に日本のことを身近に感じてくれている」
そして2011年、未曾有の震災が東北で起きた。そこで、日本を好きという気持ちと、元来の困っている人を助けようという考え方が交わり、いっきに大きな広がりを見せた。台湾全土の学校や職場、コンビニ、行政機関、至るところで募金活動が行われ、その結果、200億円を超える義援金が集まったのである。現地にいた木下氏は当時、ある種のムーブメントのようなものを感じたという。
一方で、日本人にとって台湾の印象はどうだろう。そもそも、なぜ木下氏がこうした顛末を伝えようとしたのかと言えば、被災地を訪れた際、現地の人たちが台湾のことを知りたがっていたことに他ならないという。
「これだけ多額の義援金を送ってくれた台湾とは一体どんな国なのだろう?」
実際、多くの日本人にとっては“台湾”という名前は知っていても特に大きなイメージもない。しいてあげるならバナナが有名?……程度なのだ。
「私自身は台湾に住んでおり、被災者ではありません。いまでも苦しんでいる人たちがいるなかで、葛藤はありました。それでも現地や日本の多くの人たちが義援金を送った台湾のことを知りたがっていたのです。『アリガト謝謝』を通じて、小さくて人口もそれほど多くはないであろう台湾が、いかにして義援金を集めたのか。そのなかで台湾のことをもっと日本の人たちに知ってもらいたかったのです」
◆記録ではなく“記憶”として残していきたい
200億円もの義援金が台湾から送られた。では、これに対して日本はどうだったのか。物語はそれだけで終わらなかったのだ。
世界各国から温かい支援をもらった日本。震災から1か月が経過した4月11日、政府は感謝の言葉を『ウォール・ストリート・ジャーナル』など世界主要紙に掲載した。しかし、台湾という国ではない「国」はそこに含まれなかったのである。とはいえ、政府には政府の事情があるのだろう。これは、一説によると1972年の日中共同声明。「台湾は中国のいち地方である」という当時の中国側の主張に日本政府が配慮したのだとも言われている。当然、日本人のなかには納得ができない人たちも多かった。
「台湾の人たちにきちんと感謝の言葉を伝えたい」
ある日本人女性デザイナーの呼びかけで始まった『謝謝台湾計画』。彼女のTwitterのつぶやきがネット上で大きく広まり、約2000万円もの寄付金を集め、台湾紙『聯合報』と『自由時報』に感謝広告を出したのである。
木下氏はこうした一連の事実を“小説”という形で書いたことについてこう言う。
「震災から6年が経ちました。人の記憶は忘れやすいものです。この作品は、取材や資料集め、構想から執筆まで2年3か月にも及びます。日本と台湾で30人以上の人に会いました。そのほとんどが事実をもとに書いていますが、あえて小説という形をとることで、たんなる記録ではなく、記憶として残していきたいと考えています」
【木下諄一】
1961年愛知県生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の「台湾観光月刊」編集長を八年間つとめる。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版社)が外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書にエッセイ『随筆台湾日子』(木馬文化出版社)など。
<日刊スパ>