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大船鉾の龍頭、150年ぶり勇姿 祇園祭/京都

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江戸後期の絵師・岡本豊彦が描いた大船鉾の掛け軸。
船首に龍頭が付けられている


祇園祭の四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が、木彫の巨大な龍頭(りゅうとう)を制作し、18日にお披露目した。元の龍頭は、1864(元治元)年に発生した禁門の変の大火で焼失しており、150年余りの時を経て鉾の船首を飾る龍頭が姿を見せた。今年の後祭(あとまつり)の巡行(7月24日)では、鋭い眼光の龍が都大路ににらみをきかせる。

 新調した龍頭は、高さ約2メートル、重さ約220キロ。主にヒノキ材を用いた寄せ木造り。口を閉じ、船首をわしづかみにするような鋭い爪を表現。目は黄金色をしている。

 大船鉾の四条町は、かつては南北の二組に分かれ、1年交代で鉾を出した。南四条町が当番の年は大金幣(きんぺい)を、北四条町の年は龍頭を使った。1813(文化10)年作の大金幣は現存し、150年ぶりに鉾が再建された2014年、翌15年の巡行で使用した。龍頭は、橋弁慶町文書に、禁門の変の大火で焼失したと書かれている。

 保存会は、従来の鉾の姿に戻そうと龍頭の制作を決定。江戸時代の龍頭は、四条町の記録から呉春(松村月渓)の下絵を用いて作ったとされるが、下絵も失われている。しかし、研究者から、かつての龍頭は、当時活躍した九山新之丞(くやましんのじょう)、新太郎親子の作ではないかとの意見が上がり、東山区の瀧尾(たきのお)神社拝殿にある新太郎作の木彫の龍を参考に、2年がかりで新調した。

 神社は大丸を創業した下村家の寄進で再建されている。大丸はかつての寄町(よりちょう)にあることを縁に、龍頭のことを知った神社の佐々貴信美宮司(60)が保存会に寄進を申し出た。

 保存会の林邦彦理事長(64)は「復興と呼ぶにはまだ途上にあるが、着実に往時の姿に近づいている。うれしいことです」と喜んだ。



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