英文の文字が彫り込まれている琵琶湖疏水の第一トンネル入り口(大津市)
京都市左京区岡崎周辺の整備が進み、注目される「琵琶湖疏水」を再評価する運動に、京都の市民団体が乗り出した。宮廷建築家が設計した「御所水道ポンプ室」の史跡への追加指定や、日露戦争に参戦したロシア帝国将軍クロパトキンゆかりの地を解説する看板の設置などを目指し、活動を展開している。
2003年設立の団体「近代京都の礎を観る会」は琵琶湖疏水の顕彰活動を行う。毎秋、疏水でのウオーキングを催し、これまで3千人以上を案内した。最近は岡崎周辺が国の重要文化的景観となり、ロームシアター京都や市動物園も改修され、活況を呈している。大津と京都を結ぶ琵琶湖疏水観光船の試験運航も行われ、関心が高まる地域で疏水の新たな仕掛け作りが必要だと考えている。
■「大津閘門」と「御所水道ポンプ室」を
琵琶湖疏水は国の史跡で、大津の第一トンネル入り口や蹴上のインクライン、南禅寺の水路閣など12カ所が指定されている。同会はさらに「大津閘門(こうもん)」(大津市)と「御所水道ポンプ室」(京都市山科区)の追加指定を目指すという。
閘門は船を水面の高低差で昇降させる。「大津閘門」は現在も動かせる日本人だけで作った最古の閘門で、1890(明治23)年の通水式には明治天皇も出席した。1912(明治45)年完成の「御所水道ポンプ室」は、京都国立博物館(東山区)の明治古都館を設計した宮廷建築家・片山東熊の作品で壮麗なれんが造りの建物だ。
さらに同会は、第一トンネル入り口などの上部に彫り込まれたクロパトキンゆかりの英文「トンネルクラウン」の説明板の設置も目指す。日露戦争前の1902(明治35)年にクロパトキンが来日した時、参謀アダバチスが琵琶湖疏水を視察した。アダバチスは当時の京都帝国大総長に完成度の高さから日本の力を評価して称賛した。日露戦争勝利後にこの逸話が伝わり、市参事会が顕彰の意味で、田辺朔郎の設計指導で琵琶湖疏水が完工したことを英字で示したという。
同会はこれらの事業実現のために、市上下水道局と話し合ったり、過去の歴史をさらに掘り下げたりしている。住民の機運を盛り上げるシンポジウムも開く予定で、高桑輝英代表幹事(76)は「10年以上活動してきて『明治ロマンの道』と名付けた琵琶湖疏水の愛称も徐々に定着している。市民の財産である疏水もまだ生かされていない部分が多い。いま一度目を向けてもらい、活用してほしい」と話している。