「戊辰之役之図」。御所の騒然とした雰囲気を描写している
1868年の「鳥羽伏見の戦い」勃発直後の京都御所を描いた絵をこのほど、京都市内の画廊経営者が見つけた。戦況の情報が交錯する公家門(宜秋(ぎしゅう)門)前の騒然とした様子を、迫真の筆で詳細に描く。現場にいた画家修業の若者が、戦いの約20年後に手掛けた。鳥羽伏見の戦いの絵画は、錦絵や挿絵など想像を含む作品はあるが、現場で見た光景を描いた美術作品はほとんどなく、研究者は「まさに政局転換の瞬間を描いた希有(けう)な歴史画」と驚く。
「戊辰之役(ぼしんのえき)之図」は縦81センチ、横143センチの大作。星野画廊(東山区)を経営する星野桂三さん(74)が4年前に東京でのオークションで見つけ、京都大人文科学研究所の高木博志所長(日本近代史)が調べていた。作者は宇和島藩(愛媛県)砲術指南の家系だった日本画家小波魚青(こなみぎょせい)(本名・盛春)。幕末に京へ絵を学びに来ていた。画面左下に「明治紀元(1868年)正月三日夜、余は公家御門守衛を負う為に、騒場中、親しく目撃する所なり。往時を回顧し其(そ)の真景を謹写す」と記す。明治23(90)年、東京・上野の内国勧業博覧会で掲示、褒状(賞状)を受けた記録が残る。
御所西側の要所、公家門を警護するのは、提灯の紋章から宇和島藩士と分かる。大砲3門と洋装の藩兵が並ぶ。新政府軍の緒戦勝利の報に、日和見していた公家たちが官軍にへつらうように御所へ続々と参内する。伝令の早馬や、白熊(はぐま)をかぶった本願寺僧侶の集団、宇和島藩主・伊達宗城らしき人物が乗った籠も到着。緊張感に満ちている。
徳川慶喜の復権を求める公議政体派だった宇和島藩が、御所守衛につく姿について、高木所長は「藩が倒幕へと巻き込まれる局面の歴史的記録」と指摘する。一方で、維新から20年以上を経て絵が発表された点に注目。「前年(89年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦で、幕府や賊軍の罪が許され、天皇のもとに平等な『臣民』となり、勝ち組も負け組も維新を語れるようになった」。戦い前後の政局を主導したのは薩摩だが、この絵にその影はない。「薩長藩閥から置き去りにされた宇和島藩は複雑な思いもあったのだろう。一貫して勤王だったことを主張したのかもしれない。明治の歴史意識を反映している」という。
作品は30日、星野画廊で始まる大政奉還150周年記念展で披露される(10月29日まで)。無料。