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「一人で生きられぬ、実感」 満行の光永大阿闍梨

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死に装束とも言われる白い衣をまとい、1日30~84キロを歩く千日回峰行。過酷な行から得られるものは何か、2009年に34歳で満行した光永圓道(えんどう)大阿闍梨(あじゃり)に聞いた。

 光永大阿闍梨が仏門に入ったのは15歳のとき。ぜんそくに悩まされ、「20歳まで生きられるか分からない」という不安を抱えていた。体調は良くなり、回峰行には28歳で入った。「生きていることに対するお山へのお礼の気持ち」で臨んだという。

 200日、300日と、真夜中に山を巡る日々が続く。400日を過ぎたころのことだ。「初夏の午前4時前だったでしょうか。山の中でぴたっと音がやみ、静寂に包まれる時間があった」。夜行性の動物が活動をやめ、少したつとウグイスの声が聞こえる。夜と朝のはざまの、草木も眠るひととき。「一人きりで山にいたからこそ気付いたこと。印象的でした」

 700日を終えて行われるのが「堂入り」。断食断水、不眠不臥(ふが)で9日間を過ごす。「初日に食欲はなくなり、3日目には眠さも感じなくなった。体はボロボロだが視覚、嗅覚、聴覚はとぎすまされていく」。頭に浮かぶ考えは「リセットボタンを押すように」忘れていき、不動真言を唱える。「お不動さまと一対一で向き合う9日間だった」。体重は12キロ落ちた。

 行を積むにつれ、実感したことがある。「堂入りでは、体を動かすことやお堂の世話も、周りにやってもらわないといけない。助けてもらわないといけないことが増えてくる」。行をするだけではいけない。行ができる環境をつくるのが行者だ、と周囲にはよく話す。最終年に行う「京都大廻(まわ)り」では足に大けがをし、死も意識したが、「逆境に置かれたとき、周囲の人が目に見えない力で支えてくれた」という。
 「大事なのは、お参りし、歩き、感じること。行を通じて、一人では生きていけないということを実感した」


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