第1話の脚本として準備された原稿の一部
日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」に、放映されなかった幻のシナリオが存在したことが、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の大塚英志教授の調査で分かった。映画史家牧野守氏(1930年~)が30代の頃に手掛けたもので、原作者の故手塚治虫さんによる修正指示の書き込みも残っている。
■大塚・日文研教授が公開
近現代の大衆文化研究に取り組む大塚教授が、映画史関連資料の収集家として知られる牧野氏への聞き取り調査を進める中で行き当たった。原稿用紙36枚のシナリオのほか、手塚氏による指示のメモ、契約書などがあり、大塚教授はこのほど自らが編集する雑誌「TOBIO Critiques」に全文を公開した。
見つかったシナリオは「第一話 フランケンシュタインの巻」と題され、ロボットによって作り出された悪役の「フランケン」にアトムが立ち向かうストーリー。原稿やメモ書きには、「出始めはメカニックにセリフない方がよくはないか」「悪人→事件発生→正義の登場という形式は平凡」といった手塚氏の直筆コメントもみられる。
報酬として78万円の支払いを定めた契約書も1962年2月に交わされているが、最終的には採用に至らなかった。63年1月の初回放映は「アトム誕生の巻」のタイトルで、アトムが生み出された経緯やその能力を紹介する内容になった。
■アニメと記録映画の近さ示す
牧野氏は当時、記録(ドキュメンタリー)映画の制作に携わる無名の映画人。手塚氏が、門外漢にも思える同年代の若手にシナリオを依頼した理由について、大塚教授は「戦時中、アニメと記録映画はともに最先端の芸術として人的交流があり、カット割りやリアリズム表現といった方法論も共有していた。手塚氏は自らの夢に、記録映画の美学を導入したかったのではないか」と語る。
不採用の経緯ははっきりしないが、大塚教授は「リアリズム表現の追求にコストがかかり、周囲の同意が得られなかった可能性がある」と推測した上で、「ジャンルに分断され得ない、混沌(こんとん)とした当時の大衆文化のありようを示す貴重な資料だ」と意義づける。