深草産の鬼瓦(左)と大仏産の鬼瓦
半解体修理が進む、京都市上京区の本隆寺本堂(重要文化財)の鬼瓦に、江戸時代初期の製作年代や京の二大産地の瓦師2人の名前が刻まれていることが24日までに分かった。2人が分担して製作したことが確認でき、修理を担う京都府教育委員会は、各産地の作風の違いを研究する上でも貴重な資料になる、としている。
本隆寺は法華宗真門流の総本山。本堂は1653年に火災で焼失し、棟札から57年に再建されたことが分かっている。修理作業は昨年度から2027年度までで、老朽化が進む本堂と、隣接する祖師堂、2棟をつなぐ廊下を修理する。
今夏から本堂の瓦を降ろす作業を進めており、16個の鬼瓦のうち13個に万治2(1659)年の年号や瓦師の銘を確認した。6個に「伏見深草住瓦師青山市郎右衛門」、7個に「洛東大佛(仏)住人西村与三右衛門」という名前が刻まれ、瓦師2人が半数ずつ担当した再建過程が分かった。本堂の完成時期は棟札の57年ではなく、瓦に記された59年の可能性が高くなった。
当時の京都では、豊臣秀吉が方広寺の大仏建立の際、瓦師が移り住んだとされる現在の京都国立博物館周辺(東山区)にあった大仏地域と、伏見区の深草が瓦の二大産地だった。2人はそれぞれの地域の瓦師とみられる。
府教委文化財保護課によると、寺院などの屋根に複数ある鬼瓦それぞれに製作年代と瓦師が記された事例は珍しいという。修理担当者は「青山の鬼瓦は表面がなめらかで繊細。西村の表面は粗いが、ひげや髪の表現が大胆で迫力がある。瓦師や産地の特徴を比較する資料にもなる」としている。