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古文書解読、定家ゆかり裏付け 京都、ほこらの仏像

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慈眼堂に残っていた古文書



京都市右京区の「慈眼堂」と呼ばれるほこらで千手観音立像とともに安置されてきた古文書3巻の解読がこのほど終わった。鎌倉期の歌人、藤原定家や子の為家の念持仏だったとされる伝承が裏付けられ、地元住民が仏像を守ってきた歴史の一端が明らかになった。

 文書は木箱に収められ、嵯峨二尊院門前北中院町にある堂の耐火金庫で、地元の嵯峨中院町文化財保存会が保管してきた。虫干しをする以外は人目に触れることはなく、崩し字で書かれている内容は、住民にとって長年不明だった。同区のNPO法人史料データ保存ネットワークの調査をきっかけに、保存会が早川聞多・国際日本文化研究センター名誉教授(美術史)に解読を依頼した。

 早川さんによると、最も古い内容は1255(建長7)年に記されていた。<観世音を為安置朝暮勤行無懈怠>などと藤原定家が隠居して過ごした小倉山の山荘で像を大切に敬ったこと、為家も同様にあつく信仰したことや、為家の死後に近隣の人々が小さな堂を建てて像を安置したことも書かれている。

 1巻は南北朝―室町期の学者で歌人の花山院長親(耕雲)が手掛けた写本であることも確認された。残り2巻は江戸期で、冷泉家中興として知られる冷泉為村も和歌を追記している。早川さんは「地域住民が大切に守り伝えてきた歴史が明らかになった貴重な文書ではないか」と話す。

 観音像は1985年に市有形文化財に指定されているが、市文化財保護課は「文書内容については記録がなく、公になっていないのでは」としている。保存会はインターネットHPで内容を公開する準備を進めており、「今後は博物館で展示するなど一般公開できるようにしたい」と意気込む。


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