曹竣ヨウ(左)と林威助
(台北 6日 中央社)日本プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一氏が4日、膵臓がんのため亡くなった。70歳だった。台湾では6日、メディア各社が速報で伝えており、元教え子などから別れを惜しむ声が相次いでいる。
「お会いできなくなってとても残念でした」。こう語るのは2000年、台湾プロ野球・統一から鳴り物入りで中日に入団した曹竣ヨウ(旧名:曹竣揚、ヨウ=暢の「申」を「山」に)。
台湾リーグでプレーした1999年、新人ながら史上初の3試合連続完封勝利をノーヒットノーランで達成するなど、年間MVP・新人王・ゴールデングラブ賞の3冠に輝いた。当時は中日のほかにヤクルトも獲得に動いたが、23歳の右腕は、台湾まで足を運んでくれた「闘将」のチームを選んだ。
だが、大きな期待が寄せられていたにもかかわらず、在籍3年間での1軍登板が2試合にとどまるなど、未勝利(1敗)のまま2002年に退団。2003年の台湾球界復帰後は、「夢さえあれば何だってできる」という星野氏の言葉に背中を押され、2009年の現役引退までリリーフエースとして活躍していた。
曹によると、2002年に中日を退団後、星野氏は台湾を2回ぐらい訪問した。しかし、期待に応えられなかったことに後ろめたさを感じてつい再会のチャンスを逃したという。「もう会えない。本当に残念でならない」と肩を落とした。
曹のほか、2002年のドラフト会議で星野氏率いる阪神から指名を受けて入団した林威助も6日、「突然過ぎてびっくりしています」「星野監督には感謝しかないです!ご冥福をお祈りいたします」とフェイスブックに投稿。訃報に接した時の心境や、ドラフトで選んでもらったことへの感謝の気持ちをつづった。