岩下修教諭と写真に収まる小学生時代の宮原知子選手。
口数は少なかったが、日記や作文で自分の思いを表現していたという(岩下さん提供)
平昌冬季五輪でメダルの期待がかかるフィギュアスケート女子の宮原知子選手(19)=関西大2年、京都市中京区=は小学生時代、心に秘めた思いを日記や作文につづっていた。「家族のために良い演技を見せたい」。当時9歳の少女が記した文章には、大好きなスケートに向き合う強い意志があふれ出ている。
<曲がなるまでは心がドキドキする。全日本でもこうなるのか。少し心配だ。曲がなった。考えていた事がすべて消えた。ジャンプやスピンの事で真剣だ>
2007年10月26日。小学4年だった宮原選手は、翌日から青森県八戸市で開催される全日本ノービス選手権を控えた気持ちを日記に書いていた。
週に2回以上の提出とされていた日記を宮原選手はほぼ毎日出していたという。立命館小(北区)で担任だった岩下修教諭(68)=名古屋市=は「文字にすることで頭の中を整理していたようだ。当時から弱音は吐かず、集中力は抜群だった」と振り返る。
宮原選手は、リンクサイドや、行き帰りの電車など練習の合間に鉛筆を握っていたという。初出場の同選手権で優勝した時の心境も文章に残している。
<完ぺきに終わらせて、三回転を初めて回り切って成功させた。前日に自信がわいていたので何だか夢がかなった様に思っていました>
小学3年時から始めた作文や日記の内容は、学校の出来事や料理の話などさまざま。スケートでは、タップダンスの練習や浜田美栄コーチ(58)とのやりとり、演技構成の変更など細部に及ぶ。そんな中、「今日の事は忘れない」と題し、浅田真央さん(27)にサインを求めた喜びを書きとめるなど子どもらしい姿もうかがえる。
<真央ちゃんと一緒に滑るときが来た。妖精の様だ。何だかワクワクしてきた。ジャンプをする時は、真央ちゃんに上手って思われてるかなと気にしていた>
300字の日記や、20字20行の作文用紙は大半が、最後の升目まで文字で埋まっている。岩下教諭は「当時から完璧主義で『ミス・パーフェクト』の片りんがあった」と懐かしむ。
08年3月19日。スケート少女は、5年生を前に学校で開かれた「立志式」の様子とともに、将来の夢をつづっている。
<みんなを幸せにするプロスケーターになりたいです>