市田ひろみさん
京都在住の服飾評論家、市田ひろみさん(85)が京都府に100万円を寄付し、府はフィルムライブラリーの充実に役立てようと、市田さんが若手女優時代に出演した1961(昭和36)年の映画「みだれ髪」の35ミリフィルムを購入した。スターの山本富士子さん(86)が故・勝新太郎さんと共演した悲恋物語で、美しい和服姿も見もの。京都文化博物館(中京区)では「みだれ髪」など着物ゆかりの15作品を6日~4月1日に特集上映する。
■山本富士子さん主演
「山本富士子さんはモダンな竹の模様の訪問着をきれいに着付けられていて素晴らしいですね」-。市田さんは、久しぶりという「みだれ髪」の映像を見ながら感想を語った。
同作品は泉鏡花の小説「三枚続」が原作。大映東京で撮影された。明治30年代、東京の材木商の娘・夏子(山本富士子さん)が引かれ合っていた若い医師(川崎敬三さん)と結ばれず、家の借金のために芸者となるが、若い板前(勝新太郎)が彼女を慕い続けて…。
「地獄門」で邦人初のカンヌ映画祭グランプリに輝いた衣笠貞之助監督が、かなわぬ恋に苦しむ女の情念を艶(あで)やかに撮った。「背景の襖や障子まで映像美にあふれ、貴重な作品」(同館)という。
市田さんは、夏子と同じ芸者役で出演した。「私の演技は正直恥ずかしいけれど、山本富士子さんは絶世の美女。撮影の合間に見とれているとほほ笑んでくれたり、多摩川の撮影所から新宿まで車に同乗させてくれたり、思い出がいっぱいです」
市田さんは堀川高、京都府立大女子短期大学部を経て、大阪の会社に秘書として3年間勤務。その後、大映京都に新人女優として入った。「茶道の先生が撮影所見学に連れて行ってくれて。撮影所長の奥さまも先生のお弟子さんで、女優になれそうな人の推薦を先生に頼まれていたようで。見学じゃなくて、実は面接だったんです」
家族の反対を押し切って映画の世界に入った57(昭和32)年ごろは「どん底でした」。早朝から結髪や着付けをしてもらっても撮影現場では「ごま粒のような存在」。スタッフから「映るやないか。どけ!」と怒鳴られた時もあった。
「若い時、私は顔が外国人っぽく、時代劇には合わなかった」。その後、現代劇中心の東京に移り、ヒロインにも抜てきされた。計30本近い映画に出たが、61年に母が京都ホテル(当時)に美容室を開いたのを機に京都に戻り、手伝うことになった。
「つらい日々」だった大映京都での体験は、美容室で客の髪を結ったり、着付けたりする側になって生きた。「着崩れしない紐(ひも)の締め加減や位置を体で覚えていた。結髪もしかり。回り道と思った日々でも無駄はない」
服飾評論家として100カ国以上を巡り、93年の緑茶のCMで話題を呼ぶなど「京都」を象徴する女優としても活躍する中、日本人の感性を織り込んだ着物の良さを再認識する。「着物は各工程で専門職がこだわりを持って作っている。ただ、伊勢神宮が20年に一度、社殿を建て替えるように、正しくつなぐ若い人を育てないと」と心配する。
「みだれ髪」をはじめ、往年の映画には着物を自然に着こなし、所作も美しい日本人が映っている。「着物の美を、映画で感じてもらえたら幸せです」