台湾出兵の真相解明目指す 日本軍が侵攻した北ルートを調査へ
5月31日に開かれた記者会見の様子
(屏東 1日 中央社)明治政府が1874年に台湾南部に軍を派遣した「台湾出兵」(牡丹社事件)から今年で144年になる。屏東県獅子郷公所(役所)は5月31日、当時日本軍が現在の獅子郷にある先住民集落に侵攻する際に通った北回りルートの踏査に乗り出すと発表した。伍慶隆代理郷長は、実際に行動することで歴史の真相を解明したいと意気込む。
台湾出兵は、1871年に台湾南部に漂着した宮古島島民が先住民に殺害された事件を発端とする。日本軍は1874年5月、南部に攻め込み、6月には事件が起きた台湾原住民(先住民)パイワン族が住む牡丹社や高士仏(クスクス)社(いずれも現牡丹郷)、女乃社(現獅子郷)を制圧した。
伍代理郷長は、台湾出兵に関する国内外の研究の重点は、総指揮者の西郷従道率いる本隊が通ったルートと赤松則良率いる右翼隊が通った南ルートに集中していると言及。牡丹社や高士仏社については多くの考察がされている一方で、谷干城が指揮する左翼隊が女乃社に侵攻した北ルートについての言及はあまりなく、実際の踏査や詳細な調査は行われていないと指摘した。
歴史の舞台の保存を推進する文化部(文化省)の事業で、屏東県からは牡丹社事件が対象に選ばれたことを受け、郷公所は昨年8月、女乃社などの末裔の青年や長老らと調査隊を結成。昨年末まで10回に分けて日本軍が女乃社などへの侵攻時に通った道を歩いた。
伍代理郷長は、より多くの証拠や記録を見つけようと、日本軍が進攻したのと同じ日の6月2~3日に研究のための踏査を実施することを決めた。2日間をかけて全長約18~22キロを歩く。1年以内に全古道のルートの記録や戦場の照らし合わせ、旧集落の遺跡などの調査を進める計画だという。
5月31日に開かれた記者会見の様子
(屏東 1日 中央社)明治政府が1874年に台湾南部に軍を派遣した「台湾出兵」(牡丹社事件)から今年で144年になる。屏東県獅子郷公所(役所)は5月31日、当時日本軍が現在の獅子郷にある先住民集落に侵攻する際に通った北回りルートの踏査に乗り出すと発表した。伍慶隆代理郷長は、実際に行動することで歴史の真相を解明したいと意気込む。
台湾出兵は、1871年に台湾南部に漂着した宮古島島民が先住民に殺害された事件を発端とする。日本軍は1874年5月、南部に攻め込み、6月には事件が起きた台湾原住民(先住民)パイワン族が住む牡丹社や高士仏(クスクス)社(いずれも現牡丹郷)、女乃社(現獅子郷)を制圧した。
伍代理郷長は、台湾出兵に関する国内外の研究の重点は、総指揮者の西郷従道率いる本隊が通ったルートと赤松則良率いる右翼隊が通った南ルートに集中していると言及。牡丹社や高士仏社については多くの考察がされている一方で、谷干城が指揮する左翼隊が女乃社に侵攻した北ルートについての言及はあまりなく、実際の踏査や詳細な調査は行われていないと指摘した。
歴史の舞台の保存を推進する文化部(文化省)の事業で、屏東県からは牡丹社事件が対象に選ばれたことを受け、郷公所は昨年8月、女乃社などの末裔の青年や長老らと調査隊を結成。昨年末まで10回に分けて日本軍が女乃社などへの侵攻時に通った道を歩いた。
伍代理郷長は、より多くの証拠や記録を見つけようと、日本軍が進攻したのと同じ日の6月2~3日に研究のための踏査を実施することを決めた。2日間をかけて全長約18~22キロを歩く。1年以内に全古道のルートの記録や戦場の照らし合わせ、旧集落の遺跡などの調査を進める計画だという。