1902年に台湾銀行の頭取の邸宅として建てられた「自由之家」=文化部提供
(台北 24日 中央社)文化部(文化省)は22日、台北市内に残る清朝時代の邸宅「陳悦記祖宅」、日本統治時代の銀行頭取宅を前身とする「自由之家」、米国の対台湾援助の歴史を語り継ぐ「大同之家」を国定古跡に登録すると発表した。
陳悦記祖宅(大同区)は、中国福建省の建築様式を受け継ぐ邸宅。清朝時代に同省泉州から台湾に移り住んだ陳家の二代目、陳遜言が1807年に伝統的な家屋建築「四合院」を建てて以来、一族の住まいとして増築され、大邸宅となった。建材として花崗岩や安山岩、玄武岩などが用いられており、敷居や柱、石窓などに彫刻が施されている。
自由之家(中正区)は1902(明治35)年に台湾銀行の頭取の居宅として建てられ、11年からは職員の休憩所「台銀倶楽部」として使われた。戦後は国防部(国防省)連合勤務総司令部が外国の貴賓をもてなす招待所となり、赴任先から帰国した外交使節もよく利用したという。50年以降は、難民救助組織「中国大陸災胞救済総会」や反共主義組織「世界反共連盟」などの活動拠点となったほか、民主主義の理念を伝える政治雑誌「自由中国」の編集者らの集会、演説場所としても用いられた。
大同之家(中正区)は、朝鮮戦争を機に米国(中国語では美国)が対ソ連封じ込め政策の一環として台湾への経済援助を行った「美援時代」(1951~65年)を背景に、米軍事顧問団の接待用として1953年に建てられた。建設案を主導したのは当時、米国の援助資金を活用するため設立された専門委員会のトップだった厳家淦。66年に副総統となった厳は75年、総統の蒋介石が病死したことで総統に昇格。同年、大同之家は総統官邸の一部に組み入れられた。