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ミスターラグビー平尾誠二氏死去

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神戸製鋼時代 スタンドオフ、センターで活躍した平尾さん



20日亡くなった平尾誠二さんほど、華麗な経歴を誇るラグビー人もいないだろう。伏見工業高、同志社大、神戸製鋼を日本一に導き、日本代表監督も務めた。会社幹部として重責を担い、3年後のワールドカップ(W杯)日本大会では組織委員会理事。京都が誇る「ミスター・ラグビー」は53歳の若さで旅立った。

 華やかな人だった。ひげを蓄えた顔立ちはCMに登場するほど端正。試合会場に姿を見せれば、すぐ記者に囲まれた。トークは軽妙、ユーモアもある。厳しい質問が続いて空気が重くなると「そんなことあらへんわ」。屈託のない笑顔と人懐っこい関西弁で、場の雰囲気を和らげた。

 宝が池球技場にふらりと姿を見せ、記者席で一緒に高校生の試合を観戦した記憶がある。黒い革パンツに白いシャツ、サングラス。ほんのりと香水も漂ってきた。「あのプレー、難しいんやで」「あの子、センスあるなあ。どこの学校や?」。試合で見せる険しさはなく、休日を過ごす父親のような表情だった。

 30代半ばで日本代表監督になった頃から、インタビューを続けてきた。断られたことはなく、「うちの実家はずっと京都新聞だから。記事が出ると母親が喜ぶんや」と快く引き受けてくれた。だが、昨年秋のW杯前に依頼した際は実現しなかった。その頃、病に倒れたと後で知った。

 燃えたぎる情熱とクールに映る知性。相反する二つの個性が同居していたのは、多感な10代で出会った山口良治・伏見工高総監督と、同志社大の故岡仁詩監督という2人の恩師を思い浮かべれば納得できる。仲間を思いやり、知性的に判断し、スマートに立ち振る舞う-。平尾さんから思い出すイメージはラグビーに求められるものばかりだ。かけがえのないスターを、日本ラグビーは失ってしまった。
(京都新聞)


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