真田幸村自筆とみられる書状の原本
戦国武将の真田幸村(信繁、1567?~1615年)直筆とみられる手紙で、所在不明だった幻の書状が約100年ぶりに発見され、24日、京都市内で関係者に公開された。関ケ原合戦(1600年)に敗れ、和歌山県の九度山に幽閉されていた時に書いたとみられ、幽閉生活や老いへの嘆きがつづられ、戦国時代の英雄の意外な一面が垣間見られる。
書状は、徳川家康から高野山での謹慎を命じられた幸村が、幽閉先の九度山から、姉の夫で家臣の小山田茂誠(しげまさ)に出した手紙。
内容は、新年の祝儀としてサケをもらったことへの感謝とともに、見舞いや便りの少ない生活ぶり、老いや病への嘆きなどがつづられている。花押(署名)や文面などから、幸村が戦死した大坂の陣が始まる約9カ月前の1614年2月の手紙とみられる。
明治期に実業家が所有し、1904年に東京帝国大が筆写した影写本は現存するが、原本はその後、所在が分からなくなっていた。三重県の個人収集家がこのほど古書店から入手した。
幸村の直筆や代筆の書状は、影写本を含め計17点が確認されているが、現存する原本は今回の書状を含め10点。書状を鑑定した慶応大非常勤講師の丸島和洋さんは「30代の若さで追放され、武家社会に戻ることなく九度山で一生を終えるのは嫌だという本音が、字の力強さから伝わってくる」と話している。