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天満宮?それとも天満神社?名称統一巡り、氏子と宮司対立

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参道前の石碑には「天満宮」と記されている。
だが境内には「天満神社」の由来を示す石碑もある




昭和初期建立の鳥居にあった扁額には「天満宮」と刻まれている




二つの呼称がある滋賀県甲賀市信楽町小川の「天満宮」「天満神社」の名称一本化を巡り氏子と宮司が対立している。神社本庁への登録や法人登記の神社名は天満神社で、住民らは台帳記録などを基に「本来の名称」という天満宮への変更を求めるが、宮司は「根拠がない」などと拒否。反発した全氏子約150人が署名を突きつける事態となっている。

 地元関係者によると、天満宮は江戸時代に信楽の神山神社から分離。明治政府誕生後に「宮」号が使えなくなり、天満神社へと改名した。神社の国家管理を脱した戦後、北野天満宮(京都市、旧北野神社)のように各地の天満宮の多くが元に戻った。小川地区の場合、1952~53年に宮司(故人)が神社本庁と県に戦前の天満神社のまま手続きを行っていた。

 二つの神社名の存在に不審を抱いた氏子有志らの調査で大津地方法務局信楽出張所の土地台帳に天満神社の前名として天満宮と記されていたことが判明。本殿や鳥居の扁額(へんがく)には天満宮と掲げられ、経緯を知った総代・氏子一同は先ごろ、古来伝わる歴史的な名称に統一することを決めた。

 だが変更手続きは代表役員(宮司)が対応を拒んでいるため難航している。天満神社の北河千秋宮司(79)=京都府精華町=は「本来の名称に戻すというが、正式名を示す歴史資料はない。現神社名も定着している。どちらも祭神は道真公で神社の呼称が複数あるのはよくある」と話す。

 一方、署名を提出した天満宮氏子総代長の鈴木道彦さん(76)は「本来、戦後に戻すべきだった。円満解決を目指し、全氏子の切なる声を宮司に粘り強く訴えていく」と語る。

 神社本庁(東京)は「名称の変更には文書(もんじょ)や公的資料など根拠のあることが前提。そうでなければ通称名のままとなる」という。

(京都新聞)


響け!京アニ応援 甲子園で立命館宇治の吹奏楽部が演奏

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立命館宇治高の吹奏楽部が演奏を繰り広げる応援スタンド(13日・甲子園)




 「京都アニメーション」(京アニ、本社・京都府宇治市)が宇治を舞台に、吹奏楽に青春を懸ける高校生を描いたアニメ「響け!ユーフォニアム」。放火殺人事件で甚大な被害を受けた同社を応援する思いを込めて13日、全国高校野球選手権大会(甲子園球場)の2回戦に臨む立命館宇治高(宇治市)のスタンドで、吹奏楽部がアニメ主題歌を響かせた。部員は「自分たちにできるのは精いっぱい演奏すること。京アニが良い作品を作っているということを、全国の人に伝えたい」と願う。

 「響け!ユーフォニアム」は、劇中歌を地元宇治の中高が演奏するコンサートが開かれたりするなど、アニメの枠を超えて人気が広がっている。

 甲子園で演奏するのは、2015年のテレビ放送のオープニング曲「DREAM SOLISTER」。野球部が京都大会で優勝した7月28日に、市民から「甲子園の演奏で、京アニを応援できないか」との要望が学校に寄せられた。吹奏楽部は、野球部の1回戦と日程が重なった7日の府吹奏楽コンクールに向けた練習の真っ最中だったが、部員が「やりたい」と声を上げ、演奏が決まった。

 立命館宇治は3―6で星稜(石川)に敗れ、3回戦進出を逃した。

(京都新聞)

台北市の歴史建築、新たに4軒登録=日本統治時代に建設

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 日本統治時代、陽明山に建てられた温泉旅館「巴旅館」の外観




(台北 13日 中央社)台北市政府は12日、文化遺産に関する会議を開き、新たに4軒の建築物を歴史建築として登録すると決定した。いずれも日本統治時代に建設されたもので、登録後は「文化資産保存法」にのっとって保存されることになる。

この日、歴史建築として登録されたのは
▽闕家の屋敷「徳成居」
▽旧台湾土木建築協会
▽金山南路の宿舎群
▽旧巴旅館浴場――の4軒。

徳成居は市南東部の南港区の山地付近にあり、福建から渡ってきた闕家が日本統治時代に建てたビン南式の伝統家屋。闕家が進めた開拓の過程から南港の発展史が分かることや当時の建築様式が残されていることが登録の理由となった。(ビン=門がまえに虫)

旧台湾土木建築協会は、日本統治時代に同協会が使用。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年の空襲で一部損壊しつつも、現在まで残った貴重性などが評価された。

金山南路の宿舎群は日本式建築。中庭を囲む廊下で各棟がつながれた特殊な建築様式で、保存状態も良好だという。

旧巴旅館浴場は、日本統治時代に陽明山に複数建てられた温泉旅館の中でも代表的なもので、同地一帯の温泉文化の発展に影響を与えた。
 

台湾コンビニ2強、7月の売上高伸長 ファストフードが好調

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(台北 13日 中央社)台湾コンビニエンスストア2強は13日までに7月の連結決算を発表し、売上高はいずれも前年同月を上回った。セブン-イレブン(統一超商)、ファミリーマート(全家便利商店)ともにファストフードが好調だった。

統一超商の売上高は223億8556万台湾元(約751億円)で前年同月比6.21%増加した。夏休みや暑さによる需要をつかみ、ファストフードやいれたてコーヒー、パンなどで新商品を投入。ファストフードはコラボレーション商品の発売などが奏功し、同10%以上伸びた。飲料が最大で無料になるくじ引きキャンペーンを実施し、話題を呼んだ。台湾スターバックス(星巴克)やフィリピンで展開するセブン-イレブンは店舗数拡大などに伴い、それぞれ同10%以上増、約40%増となった。

全家便利商店の売上高は同8.26%増の69億29万元(約231億円)だった。最も好調だったファストフードは同12%増加した。特にカップ飲料やレンジ調理の主食、調理麺類、冷蔵スイーツ、パンなどが伸びた。

”京アニ火災”青葉容疑者の伯父が告白した事件のこと

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青葉真司容疑者



「亡くなった方や遺族のことを思うと、自分たちが今、ここにこうして生きているのも許されない気持ちになります……」

 こう語るのは、7月18日、「京都アニメーション」第一スタジオに放火し、35人もの命を奪った青葉真司容疑者の実の伯父だ。

◆ ◆ ◆

「針のムシロの思いです」

 青葉の父は、6人の子供がいる家庭を持ちながら、自身がバスの運転手をしていた幼稚園の先生と不倫。3人の子供を儲けた。

 青葉の母の兄にあたる伯父が、こう声を絞り出す。

「妹が駆け落ちし、親父とお袋の弟が『居所がわかった』と連れ戻しに行ったのですが、妹は『帰らない』と言った。私は許せなかったので、一切の連絡を絶っていました。ところがその後、私の妻に『電信扱いでお金を振り込んでほしい』と無心してきたのを知りました。子供がいるのも聞いていましたが、今回の事件を知って、脚が震えて立っていられなくなった。関係ないでは済まされない。針のムシロの思いです」

 何の罪もない伯父にまで深い苦しみを与えている青葉。その両親は離婚し、1999年には子供たちを引き取っていた父が自殺した。既に再婚していた母は、周囲に「前の旦那は病気で死んだ」と話していたという。

 その後、青葉はきょうだいとも断絶。12年にコンビニ強盗で収監された。

刑務所で「小説を書くのでペンと紙をください」

 元刑務所仲間が振り返る。

「青葉っちはネクラで喋るのがちょっと遅い。強盗は『女に騙されて金を盗りに行った』と言ってた。夕方の食事が終わると、刑務官に『小説を書くのでペンと紙をください』と頼むんだ。何を書いているのかは教えてくれなかったけど」

 今回の事件後、京アニからは過去に投稿された青葉と同姓同名で住所も一致する応募作品が見つかった。

「さいたま市内にある自宅アパートの家宅捜索では、PCや複数のスマホのほか、京アニ関連グッズも多数押収。同社が制作した『響け!ユーフォニアム』のサイン色紙や同社関連書籍などが見つかった。大量の白紙の原稿用紙も発見されています」(社会部記者)

〈あのクソアニメ会社が……〉警察が注目するネットの書き込み

 青葉は犯行前、「響け!ユーフォニアム」の舞台のモデルとなったJR宇治駅周辺を“聖地巡礼”していたことが確認されている。

「警察は動機の解明のため、青葉のものではないかと思われる、昨年投稿されたネット掲示板への書き込みも調べている。ただ、掲示板には接続経路を匿名化するTor(トーア)というシステムが用いられているため、京都府警のサイバー部隊が解析を進めています」(同前)

 京都府警が注目する書き込みは、次のようなものだ。

〈あのクソアニメ会社が一番やりそうなことってあの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな〉

〈もっと細かく気にして「これはなんかあるぞ」と予測しとけば わざわざ、「爆発物もって京アニ突っ込む」とか「無差別テロ」とか「裏切られた」など感じる必要もないわけで〉


業界を代表するアニメーターの命が奪われた

 放火直後、妄執にとらわれた青葉は「作品をパクられた」などと叫んだ。その一方で、本気で作品づくりに取り組んできた多くのクリエイターの命が奪われた。

 その中の一人、アニメーターの木上益治(きがみよしじ)さん(61)は「火垂るの墓」や「AKIRA」などの作品に携わってきた。木上さんと「東京デザイナー学院」の同期の渥美敏彦さん(59)が語る。

「木上君はアニメーターになるという明確な目標があった。入学前の2年間は働いて学費を貯め、学生時代もガソリンスタンドでバイトしていた。無口でしたが優しくて、僕が課題の動画を描けずに悩んでいると、『貸してごらん』とスラスラ描いてくれた。人物を描くのも一筆書きで本当に速くて。その姿を目の当たりにして、僕はアニメーターになるのを諦めたんです」


 事件の生存者の一人も、木上さんをこう惜しむ。

「業界を代表するアニメーターで、仕事には厳しいのですが、まろやかで優しい『お父さん』のような存在。進行中だった作品の監督にもなっていたのに、それをよくも壊しやがって……」

 青葉が仮に断罪されても、失われたものは戻らない。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年8月15・22日号)

台米の次官級経済協議 外交部、3年ぶりの開催に期待

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外交部の姚金祥・北米司長




(台北 13日 中央社)外交部(外務省)の姚金祥・北米司長は13日、台湾と米国の次官級高官による経済対話の場、貿易投資枠組み協定(TIFA)協議の3年ぶりの開催を期待するとの考えを示した。米国側の代表を務める通商代表部(USTR)と連絡を取っているという。同部の定例会見で述べた。

台湾と米国は1994年にTIFAを締結。会議では双方の次官級高官が経済や貿易に関する幅広い分野で議論を行ってきた。前回の会議は2016年10月で、2017年はトランプ米大統領の就任以降、USTRの次席代表が決まっていないとして開かれず、2018年もスケジュールの問題で開催が見送られた。

姚氏は、米国が次官級の高官を派遣しなければTIFA会議とは言えないとし、同枠組みの下で他ポストの高官による会議を開くことも視野に入れていると説明した。

また、会議が行われていなかった過去2年間、USTRの幹部が台湾を訪問していることに言及。台米間の話し合いは途絶えていないとした。
 

離島3県の県長、中国の対台湾担当トップを訪問 旅行制限の緩和呼び掛け

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中国大陸からの観光客で賑わう金門県の特産店




(北京 13日 中央社)中国が今月1日から台湾への個人旅行の許可証を発行停止にしたのを受け、離島の金門、澎湖、連江3県の県長は12日、中国の対台湾政策を担う国務院台湾事務弁公室の劉結一主任(閣僚)と北京で面会し、3県への個人旅行制限の緩和などを求めた。面会後に宿泊先のホテルで取材に応じた頼峰偉・澎湖県長によると、劉氏からは「メリットがある方向に向けて慎重に検討する」との返答があったものの、明確な回答は得られなかったという。

中国は2011年6月に北京や上海などを対象に台湾への個人旅行を解禁したのを皮切りに、これまで47都市で許可証を発行していた。離島の金門、澎湖、連江3県と中国大陸を結ぶ渡航ルート「小三通」を利用した個人旅行は20都市で認められていた。金門県政府観光処によると、今年に入って小三通を利用して金門を訪れた中国人旅行者の70%が個人旅行で、個人旅行停止は金門の観光や経済に大きな打撃となる。同処は、停止措置が続いた場合、金門の観光業の損失額は来年1月までで25億台湾元(約83億3700万円)を超えると推計している。

同県が発表した報道資料によると、3県が中国側に伝えた希望は、小三通の推進継続▽台湾への個人旅行制限の範囲から3県を除外▽少なくとも小三通を利用した個人旅行の対象20都市を維持▽3県への団体旅行を引き続き後押し―など。

頼氏は取材に対し、今回の中国訪問は政府の同意を得たものだと明らかにした。

離島3県県長の中国訪問について蘇貞昌行政院長(首相)は13日、観光振興に取り組む地方の首長の努力に理解を示した上で、中国との交流にはより慎重を期すよう呼び掛けた。
 

幻の送り火「い」火床の位置移す? 京都、山中で跡を新たに発見

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「い」の字の推定地




お盆に迎えた先祖の霊を送る「五山送り火」(16日夜)で明治時代に途絶えた「い」の字について、京都精華大の小椋純一教授が11日までに京都市左京区静市市原町の向山で推定地の山腹に加え、山裾に近い場所でも火床の跡などとみられる溝を見つけた。京の町中からも眺められるよう江戸時代中期までに火床を山裾近くから山腹へ移したとみており、地域の行事だった送り火が近世に京の夏の風物詩になってゆく痕跡との新見解を提示している。

 小椋教授は山や森林の植生史や景観史を研究している。江戸期の史料のほか地元の記録や言い伝えなどから、向山(標高426メートル)の300メートル付近の山腹で、明治30年代ごろまで「い」の字が点火されていたとする見解をこれまでに示している。

 4月から衛星利用測位システム(GPS)で向山一帯の地形を5メートル四方ごとに詳しく調査し、東西で対になるような溝を尾根沿いで確認した。長さは山腹が東側で80メートル前後、西側で70~120メートル前後、やや下がった山裾が東西とも70メートル前後だった。現地で一部を調べると、断面はU字に近い形状で幅1~2メートル、深さ数十センチだった。小椋教授は「溝は人為的に作られた送り火の火床か、そのために使われた道の跡ではないか」と推測する。

 送り火は始まった時期を確定できていないが、江戸前期には京都のお盆を象徴する行事となり、文献や絵図でも広く紹介された。1717年の文献「諸国年中行事」には現存する「大」などに加え、市原の「い」も記されている。

 小椋教授は「いの字は古い時代は山裾に近いところで行われ、地元にとってはこちらの方が良い形で見えていたはずだ。だが18世紀初期までには火床を山腹に移動させていたと想定でき、今回見つかった溝は京の町中の人や観光客らが眺望する現在のような送り火へと移り変わってゆく流れを示す痕跡に思える」と話している。

【2019年08月14日 京都新聞】


[台風10号接近]京都の五山送り火は予定通り

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2018年に行われた送り火の「大文字」




 京都の夏の風物詩「五山送り火」について、京都五山送り火連合会事務局(京都市文化財保護課)は14日現在、通常通り行う予定であると明らかにした。

 五山送り火は16日午後8時以降、「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」に点火する。

 台風10号接近に伴い京都では、JR西日本が15日の列車運転見合わせを発表しているほか、催しの中止などが相次いでいる。

【2019年08月14日 京都新聞】

文豪志賀直哉の旧居宅、解体へ 京都、小説「暗夜行路」に登場

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解体される志賀直哉の旧居。
小説「暗夜行路」でも重要な舞台となった(京都市北区)




文豪志賀直哉(1883~1971年)の京都時代の旧居の一つで、小説「暗夜行路」でも重要な舞台として描かれた京都市北区の住宅が近く取り壊されることが13日までに分かった。大正期の木造2階建てで老朽化が著しく、現在の所有者が解体・売却の手続きを進めている。

■「暗夜行路」にたびたび登場

 旧居は北野白梅町交差点から南西約200メートルにあり、1910年代に衣笠村(当時)に郊外型住宅として開発され、文化人が多く住んだ「衣笠園」の一角。志賀は新婚間もない15(大正4)年1月に移り住んだ。実父との確執が激しい時期で妻も神経衰弱になり、わずか4カ月余りで退居し京都を離れた。

 この時期の日記は全集未収録で、詳しい暮らしぶりは分かっていない。ただ「暗夜行路」では、自らを投影させた主人公の作家時任謙作と妻直子が新婚生活をスタートさせた家として登場。「二人は衣笠村にいい新建(しんだ)ちの二階家を見つけ、其所(そこ)へ引移った」との描写に始まり、幼い長男の死や直子を襲った悲劇の舞台として、たびたび描かれている。

 2階の書斎は「机を据(す)えた北窓から眺(なが)められる景色が彼(謙作)を喜ばした。正面に丸く松の茂った衣笠山がある。その前に金閣寺の森、奥には鷹(たか)ヶ峰(みね)の一部が見えた」とつづられ、志賀自身も創作の場として使っていたことをうかがわせる。

■「保存の道探ったが、良い策見つからず」

 志賀が退居後はしばらく賃貸住宅として活用。1930年代半ばに入居した男性(故人)が戦後に土地と建物を購入した。その後長く暮らした男性の長男も昨夏に亡くなり、空き家になっていた。

 遺品整理などを進める男性の孫の杉山誠一さん(63)=東京都=は「祖父や、おじ(男性の長男)は誇りに思っていた。特におじは長く2階で生活し著作を集めるなど思い入れが深く、自らが旧居を守っている意識があったと思う」と語る。自身も幼稚園の一時期、この家に暮らしたことがあり、「2階の窓から左大文字が見えた」と振り返る。「保存の道も探ったが、良い策が見つからなかった」と早ければ9月にも取り壊すという。

 京都では明治末期ごろから近代的な郊外型住宅が登場し、北白川や岡崎、下鴨などに先立ち、衣笠園が宅地として造成された。とりわけ知識人階級を意識して貸し出され、志賀をはじめ、土田麦僊(ばくせん)や宇田荻邨(てきそん)ら画家、後には映画関係者も住み、戦前には「芸術村」と目されていた。

 石田潤一郎・京都工芸繊維大名誉教授(建築史)は「志賀の旧居はインテリ層向けの近代和風住宅の原型である上、北山杉を用いた数寄屋風の意匠や土間といった農家風の空間を備えるなど多様な住宅的な要素を併存させている。建築から100年以上がたって往時の建物が消えゆく中、文学史上の価値はもとより、近代の建築史や京都の都市史を考える上でも貴重な建物といえる」と話している。

【2019年08月14日 京都新聞】

タピオカドリンクの有名店で不買運動、「香港と団結」呼び掛けで

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 [北京 8日ロイター] - 日本でも流行しているタピオカドリンクが生まれた台湾の複数の有名店に対し、中国本土で不買運動が起きている。香港で続くデモに対し、連帯を呼び掛けたためだという。

きっかけは、タピオカドリンクなどお茶をベースにした飲み物を製造している一芳(イーファン)台湾水果茶が、香港で1店舗を1日閉店させ、「香港人と団結しよう」という中国語の掲示を出したこと。この看板の写真が中国本土のソーシャルメディアで拡散し、「香港の独立を支援している」と非難するユーザーの怒りを買った。

不買運動は、貢茶(ゴンチャ)、喜茶(シィーチャ)、都可(ココ)、一点点ダイ茶(ア・リトル・ティー)など、他のタピオカドリンクを出している店に広がった。これらの一部は日本にも出店している。

一芳などは、中国版ツイッター「微博」のユーザーによってブラックリストに載せられた。微博に投稿された「あなたの店ではもう1セントも使わないので、安心してほしい。一芳はゴミだ」というコメントには、1500件以上の「いいね!」が付いた。

一芳の中国本土店はソーシャルメディアで、掲示を出した非常勤スタッフを解雇し、店舗を閉鎖したと説明。だが、一芳の香港店はロイターに対し、まだ誰も解雇されておらず、店舗も閉鎖されていないと述べた。

喜茶と貢茶は火消しに努めており、「一国二制度」「一つの中国」を支持すると表明した。都可と一点点からのコメントは得られなかった。

TV朝日「世界の車窓から」臺灣編 2009年1月12日~3月1日

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1300キロを巡る台湾一周の旅

2009年1月12日から1月29日/2月9日から3月1日放送


テレビ朝日開局50周年記念“世界一”シリーズを放送

九州よりやや小さい台湾には、鉄道の魅力がぎっしりと詰まっています。2007年に開通したばかりの台湾新幹線、待望の復活を果たしたサトウキビ列車、南国旅情あふれるローカル列車、等々。首都台北を起点に、高雄、台東、花蓮、そして再び台北へと、およそ1300キロを旅する中で、島国特有の自然美と、人々の穏やかな笑顔に出会います。“新しさ”と“懐かしさ”が混在する台湾ならではの魅力を、お楽しみください。

プロデュ-サ-:田原敦子(テレビ朝日) 岡部憲治(テレコムスタッフ)
アシスタントプロデューサー:水谷久美
ナレーション:石丸謙二郎
ディレクタ-:李 玉美
撮  影:辻 智彦
撮影助手:佐藤洋祐
アシスタントディレクター:立川修史 山本紗康子




No.7780 1月12日(月曜日) 「臺灣一周の旅 ハイライト」

~今日から、臺灣の旅が始まります~





変化し続ける、臺灣
懐かしさと新しさが混在するこの島を
一周する旅に出かけます





No.7781 1月13日(火曜日) 「未来型鉄道 MRT」

~今日は、台北の都市鉄道を紹介します~



250万を超える人々が暮らす、台湾最大の都市、台北
日々の交通渋滞は深刻を極めています

市民を救う救世主、それが都市高速鉄道MRT
  
現在完成しているのは、7路線
市内のほぼ全域を網羅し
車やバイクに代わる交通手段として
活躍しています

MRTが優しいのは、人にだけとは限りません
  
チケットを購入すると
  
出てくるのは…
  
リサイクル可能なコインです!

環境と人に優しい未来型鉄道MRTが
今日も、台北の街を駆け抜けています




No.7782 1月14日(水曜日) 「高速鉄道700T」

~今日は、台湾の新幹線、高速鉄道に乗車します~



朝日を浴びて佇む、台北駅
台湾で始めて鉄道が開通したのは、1891年のことです

その100年もの歴史に新たに名を刻む、新顔が誕生しました
  
台湾高速鉄道700T
終点、ヅォイン(左營)駅まで345キロを最速96分で駆け抜けます

こちらが、本日の車掌さん
  
安全点検を終えた彼女の号令で列車は、台北の街を抜け、一路南へ

遠足に出かける中学生たちに出会いました

いくつもの笑い声を乗せて…最高時速300キロの旅が始まります





No.7783 1月15日(木曜日) 「幸せを運ぶ駅弁」

~今日は、台湾高速鉄道の車内をご覧下さい~



台湾の新幹線、高速鉄道
一日およそ10万人の人々を乗せ
台湾の大地を縦断しています

日本の新幹線をモデルに作られたという車内
ゆったりと快適なシートで
乗客たちは、思い思いの時に揺られています

そこへ、車内販売のお姉さんたちがやってきました
一番人気は、台湾では定番の照り焼きチキン弁当

車内でしか買えないということもあって
売れ行きも上々です

列車では、小さなお弁当が大きな幸せを運んでくれます





No.7784 1月16日(金曜日) 「銀河の鉄道」

~今日は、終点ヅォイン(左營)駅に到着します~




2007年、高速鉄道の開通によって
台湾全域で、気軽に日帰りの旅を楽しめるようになりました
  
でも列車の魅力は、決して、乗る人だけの物ではありません

こちらは、沿線にたつカフェ
ここは、列車が通り過ぎるのを眺めるために作られた
オープンカフェです

鉄道ファンならずとも、家族や恋人と
皆、ときを忘れて過ごします

台北を出発して96分列車は短い旅を終え
終点ヅォイン(左營)駅に到着しました






No.7785 1月17日(土曜日) 「魅惑の平溪線」

~今日から、平渓線の旅が始まります~




台北から車で1時間ルイファン(瑞芳)と呼ばれる
小さな駅にやってきました

ここは、行楽列車として人気を集める
平渓線の発着駅です

朝10時ホームは既に
日帰りの旅に出かける人々で、ごった返しています

名物の駅弁販売に取りかかる少年たち
いつも飛ぶように売れる、自慢の弁当なのだとか

おや、おばあちゃん
出発も待たずに、もうお弁当開きですか?

いったい、どんな旅になるのか…

ホームに滑り込んできた列車に、乗り込みます
  
ここから、西へおよそ20キロの旅
列車は、深い渓谷へと進んで行きます




No.7786 1月18日(日曜日) 「緑の基隆河」

~今日は、平渓線の車窓をご覧下さい~





台湾北部を走る平渓線山深い渓谷への旅が始まっています

車窓には、キールン(基隆)河の緑の水面が流れています
  
よく晴れた旅日和車内は、秋の風景を楽しむ人々の熱気で
いっぱいです

袖振り合うも多少の縁

笑い声のぎっしり詰まった列車は
西へ向かって走り続けます
  
終点まで6.5キロ
小さな村の真ん中を抜けて行きます





No.7787 1月19日(月曜日) 「十分老街」

~今日も平渓線の旅をお楽しみください



出発からおよそ30分、列車は


基隆河の蛇行に沿って走り続けています

心地よく揺れて乗客を夢の世界に誘いながら
列車は、十分の街を通って行きます

一日周遊券を使って、自由に途中下車を楽しめるのも
この路線の魅力の一つ

一歩裏道に入れば、静寂の時が流れています

列車も、声を潜めるように山間の村を抜け
終点菁桐へと向かいます







No.7788 1月20日(火曜日) 「名物おじさんのお茶」

~今日は菁桐の街を歩きます~





およそ40分の小さな旅を終え、平渓線の列車が
終点、菁桐駅に到着しました

初めて来たのに、どこか懐かしい香り漂う街です 

おや、何やら人だかりが出来ていますね
  
この方、名物おじさんでしょうか…
  
ここは、天然の果実や草花で作ったお茶を
好きなだけ試飲できるお店

蜂蜜につけ込んだ、ほんのりと甘いお茶です

おじさん、美味しいお茶をどうもありがとう

平渓線の旅も、ここで終わり
列車は、もと来た路を東へと帰って行きます







No.7789 1月21日(水曜日) 「自強号で出発」

~今日は、特急列車・自強号に乗車します~




一日におよそ40万人が利用する台北駅
ここを起点に、台湾一周の旅に出かけます

まずは、朝7時発の特急列車、自強号で
南西に165キロ、台中の街を目指します

自強号は運行本数が多いため、通勤、通学に欠かせない
市民の足ともなっています

台湾一周、およそ900キロの旅が始まりました
車窓には、澄み渡る空 一気に胸の期待が膨らみます






No.7790 1月22日(木曜日) 「お婆さんの旅」

~今日は、自強号の車内の様子をご覧下さい~




午前7時 台北を出発した自強号が
朝の光の中を南へ向かって、走り続けています

車内には、静かな時が流れています

大きな麻袋を大事そうに見つめるおばあさんに出会いました
 
聞けば、今日は、田舎に暮らす弟さんの誕生日なのだとか
  
袋の中にぎっしりと詰まっていたのは、とりたてのマコモ
弟さんの大好物なのだそうです

おばあさんの大好きな家族のもとへ向かって…
列車は、まっすぐに走っていきます





No.7791 1月23日(金曜日) 「台湾の水田」

~今日は、台中に到着します~




台北から南西へおよそ100キロ
車窓には、田園風景が広がっています

温暖な気候の台湾では、米の二期作が行われています
  
まるでパッチワークのように
使っている田んぼと、休ませている田んぼが
代わる代わる続いていきます

出発からおよそ2時間
  
窓には、台中の街が見えてきました

台中は、台湾で3番目に大きい都市です





No.7792 1月24日(土曜日) 「台中黄昏市場」

~今日は、台中の街を紹介します~




台北から南西に走ること165キロ
列車は、台中駅に到着しました

ここは、台湾中部最大の商業都市
現在、105万人の人々が暮らしています

かつて清の時代 都が置かれていたこの街は
台湾全土から美味しい物が集まる、グルメの街です

味にうるさい主婦たちが集うという市場を覗いてみました

一歩入ると、立ちのぼる美味しそうな香り!
  
今夜のおかずに最高の味を!と
女たちは妥協を許しません

少女が見つけたのは、台中名物、チーツァトン
鶏の足を甘く煮こんだ、逸品です






No.7793 1月25日(日曜日) 「台中出発」

~今日は、台中を出発します~




台中を出発するまで、あと2時間
ちょっと一杯、お茶を飲みながら、待つ事にします

ここ台中は
台湾のお茶文化の発祥地だと言われています 
  
周辺で良質な茶葉が採れる事もあって
暮らしはいつも、お茶の香りに包まれています

暑さも和らぐ昼下がり
皆、ちょっとした時間を見つけて
思い思いにお茶を味わいます

そろそろ、旅の続きに出かけます
台中駅から、ローカル線に乗車して、さらに南を目指します





No.7794 1月26日(月曜日) 「彰化の扇形車庫」

~今日は、ローカル線の駅を紹介します~



台中を出発したローカル線が、南に向かって走り始めました
  
大肚渓を渡るとすぐ
最初の停車駅彰化に到着です
  
実はこの駅では、世界でも珍しい
ある物を見る事が出来るのです

それは…昔ながらの扇形車庫

扇の形をした車庫に、常時12台の機関車が
入れ替わり立ち代わり出番の時を待っています

こちらは、機関車の向きを変えるターンテーブル
  
電車が主流となった現代
なかなか見かけなくなりましたが
ここ彰化駅では、1年365日
今も、現役で稼働し続けています



No.7795 1月27日(火曜日) 「集集線出発」

~今日は、集集線に乗車します~



台中から南へ51キロ、二水駅は
集集線との分岐点となっています
  
列車は、南国の風を切って走り始めます

車内には、ほんのり甘酸っぱい香りが漂っていました
  
香りの元をたどると、おじいさんが一人、座っています
  
一つ食べてみるかい?と差し出してくれたのは
この地方原産のドライフルーツ
  
これを食べると、よく眠れるんだよ、とおじいさん

列車は緑のトンネルを抜け、東へと走り続けます




No.7796 1月28日(水曜日) 「チャーチャン村」

~今日は、チャーチャン駅に到着します~



二水駅を出発して、およそ20分
車窓に倒れかけた鉄塔が見えてきました

台湾中部を走る集集線沿線は、1999年
台湾大震災で最も大きな被害を受けた地域です

列車は、およそ30キロの旅を終え
終点チャーチャン駅に到着しました

かつての地震で、半数の民家が倒壊したという村にも
今はすっかり平穏な暮らしが戻っています
  
村の真ん中にある食堂

近所の発電所で働くおじさんたちが、いつもの仲間と
いつものおかずで、お昼を楽しんでいました
  
変わらぬ暮らしの中を
列車は、一日12回、往復しています




No.7797 1月29日(木曜日) 「サトウキビ列車」

~今日は、台湾の観光列車を紹介します~



台湾中部にある、渓湖駅
今日はここから
蒸気機関車が牽引する観光列車に乗車します

週末のみ、日に2回運行される列車を目当てに
多いときには、200人以上が集まる人気の路線です
  
今日で5回目という近所の少女も、おばあさんに手を引かれ
やってきていました

かつて
サトウキビの運搬に使っていたトロッコを
今は、そのまま客車として利用しています

往復40分の旅に出発です





No.7808 2月9日(月曜日) 「キョコウ号で高雄へ」

~今日は、キョコウ号に乗車します~



午後2時21分発の急行列車、キョコウ号が
ニ水駅に到着しました

この列車に乗車して、南へおよそ150キロ
台湾第二の都市高雄を目指します

金曜の午後とあって、車内は満員御礼です

キョコウ号は、特急列車の自強号に比べて、運賃が格安なため
週末、里帰りする学生たちの、強い味方なのです






No.7809 2月10日(火曜日) 「睡魔との旅」

~今日は、キョコウ号の車内の様子をご覧ください~



高雄を目指すキョコウ号が
南へと走り続けています

雨季の台湾
午後4時を前に、西の空が赤く染まり始めています

車内には、傾き始めた日の光が
睡魔を招き込んでいました

あっちでもこっちでも
睡魔に負けた乗客たちが、夢の旅へと出かけています

ニ水駅を出発しておよそ、2時間半
終点高雄駅は、もうまもなくです






No.7810 2月11日(水曜日) 「高雄の夜市」

~今日は、高雄に到着します~



ニ水駅を出発しておよそ150キロ
列車は、終点高雄駅に近づいています

午後4時56分定刻通りの到着です
乗客たちは、家路へ急ぎます
 
高雄は、台湾最大の港町
日は暮れても、街の熱気は収まりません

夕食どきの夜市には
新鮮な海の幸が、ところ狭しと、並べられています

味の決め手は、何と言ってもスピード

腕自慢の男達が、飛び交う注文と格闘しています

香ばしい海の香りと、頬を撫でる夜の風…
 
高雄の屋台では、生涯忘れられない味に出会えます





No.7811 2月12日(木曜日) 「高雄の朝」

~今日は、高雄を出発します~



台湾最大の港町、高雄の朝です

港のすぐそばで、祭りの一行と出会いました

海の守り神に感謝をささげる祭りです

古くから、豊かな海の恵みに支えられてきたこの街は
今なお、海上交通の要として活躍しています

陸の上でもまた、欠かせない分岐点となる高雄駅
台湾一周の旅は、ここから更に南へと続きます

ディーゼル機関車が牽引する普通列車、區間車に乗車して
台湾海峡に面した街、枋寮を目指します

午前8時31分 定刻より一分遅れて
列車は南へ向かって走り始めました





No.7812 2月13日(金曜日) 「テスト勉強」

~今日は、ローカル線の車内をご覧ください~




南へ向かう區間車が
南部最大の街、高雄を抜け出しました

朝の車内では、読書の時間です

児童福祉を勉強する学生さん
 
彼女が熱心に読んでいるのは…友達の参考書です!

実は、大事な授業をサボってしまったので、
試験に出そうなポイントを丸写ししていたのです

なんと、試験はこの後すぐ!
赤点、取らないといいですね…

列車は、大きな鉄橋を渡ろうとしています
 
この橋は1914年、日本人の技術者によって建てられました
完成当初は、東南アジア一の長さを誇っていたといいます

ところが…
今は、台風で途中から倒壊したままになっています

復興は、まだまだ先になるそうです






No.7813 2月14日(土曜日) 「雨の結婚式」

~今日は、沿線の村を紹介します~



高雄から東へおよそ20キロ
列車は、屏東駅に到着しました

屏東駅は、台湾の先住民が多く暮らす街への
玄関口となっています

三地門郷と呼ばれるこの集落には
今なお、およそ7千人のパイワン族が
伝統を受け継ぎ、暮らしています

この日は、年1度の合同結婚式
 
新郎新婦が伝統衣装に身を包み、祝いの宴が始まっています

村人たちが、一つの大きな円を作り
新しい門出を祝う歌を歌います

婚礼の儀式の直前…
 
突然、スコールが降り出しました

式を中断し、雨が上がるのを待つことに

降りしきる大粒の雨は、はたして
若い二人の未来に、恵みの雨となるのでしょうか…






No.7814 2月15日(日曜日) 「雨のお参り」

~今日は、車内の様子をご覧ください~



屏東駅を出発しておよそ1時間
列車は、南へと走り続けています

今にも泣き出しそうな空の下
今日はヤシの木々も、寒さをこらえながら
立ちすくんでいます

車内には、これから道教のお寺に、お参りに行くという
老夫婦が揺られています

膝元に積み上げられていたのは
お札を模したものです

これを燃やして、健康を祈願するのだそうです

外は、ついに降り出した雨に
しっとりと濡れ始めていました


TITLE "長寿を願って"
ARTIST テレサ・テン
CD '淡淡幽情'
(Polygram Records SC-6101)







No. 7815 2月 16日(月曜日) 「枋寮で乗り換え」

~今日は、枋寮駅に到着します~



台湾南部を走るローカル線が
終点枋寮駅に近づいています

沿線には、うなぎの養殖池が広がり始めました

このあたりで育てられる年間50トンを越えるうなぎ…
その多くが海を越え、はるか日本へと輸出されています

定刻から遅れること約10分 列車は
終点枋寮駅に到着しました

この先は、台湾海峡に沿って走る海岸線に乗り換えます

どんより曇り空が晴れることを祈りながら
次の出発まで4時間、
のんびり待つことにします






No.7816 2月17日(火曜日) 「台湾海峡の夕日」

~今日は、枋寮を出発します~



台湾の西海岸に面した駅、枋寮
ここから、およそ100キロ、東海岸の台東を目指します

乗車するのは、旧型客車を利用した各駅列車
 
台湾最南端を走る旅に出発です

午後2時35分 列車は、ゆっくりと
枋寮の街を抜け、一路東へ向かいます

出発から、およそ20分
車窓に、台湾海峡が見えてきました
 
夕暮れ間近の太陽が、この日最後の光を注ぎます




No.7817 2月18日(水曜日) 「中央山脈横断」

~今日は台湾の山岳地帯を走ります~



列車は今、全長8070mのトンネルを
抜けようとしています

台湾最南端を走る南廻線は
中央山脈を横断する路線です

車窓の風景には目もくれず
まっすぐ前だけを見つめるおじさんに出会いました

この方、実は…、単なるおじさんではなかったんです

古荘駅に停車する直前、席を立ちドアのほうへ

そう、おじさんはなんと、この駅の駅長さんでした!

険しい山岳地帯に立つ駅では
列車が、欠かせない通勤手段になっています

駅長さん、今日も一日、お勤め頑張ってくださいね

あと数回、トンネルを抜ければ
列車は太平洋に到達します





No.7818 2月19日(木曜日) 「台湾最南端」

~今日は、太平洋沿いを走ります~



ここは、台湾最南端に位置する、墾丁国家公園です
 
熱帯魚や珊瑚が暮らす海…   
空が澄んだ日は、フィリピン島まで見渡せます

列車は、太平洋に沿って
北へと走り始めました

決して見飽きることの無い風景…
 
この海の果ては
日本列島へと、繋がっています





No.7819 2月20日(金曜日) 「温泉郷」

~今日は、台湾の温泉を紹介します~



太平洋に沿って走り続けた列車が
海を離れ、最初に到達するのが知本駅です

かつては、先住民だけがくらすのどかな街でしたが
近年、観光地としても注目され始めています

街の中心から西へ10キロ程行った渓谷沿いに
古くから温泉がわき出しています
  
この地を行き交う旅人を
癒し続けてきた、名湯です






No.7820 2月21日(土曜日) 「フルーツ天国 台東」

~今日は、台東に到着します~



枋寮を出発して、およそ2時間
終点間際の車内に、二人組の女性が座っています

旅の思い出よ、と見せてくれたはがき

裏には、訪れた街のスタンプが並んでいました
 
どうやら、台湾最南端の駅を起点に
途中下車の旅を楽しんでいるようです

午後4時45分、列車は、日暮れ前の台東駅に到着しました

南東部最大の街、台東では
いたるとこで珍しい果実に出会います

中でもこちらが台東名物!
お釈迦様の頭と書いて、釈迦頭です

中には南国の香りがぎっしりと、詰まっています






No.7821 2月22日(日曜日) 「台東の朝日」

~今日は、台東を出発します~



午前6時
夜が明けたばかりの台東駅から、北へおよそ160キロ
花連の街へ向けて出発します

静かな構内で、20分後に出発する特急列車
自強号を待ちます

早朝の列車には、様々な人が乗り込みます
 
観光に出かける人…
こちらは、野球の試合にでも行くのでしょうか…

出発を待つように、東の空から
太陽が顔を出し始めました

それぞれの、新しい一日が始まります






No.7822 2月23日(月曜日) 「走る駅弁」

~今日は、キョコウ号に乗り換えます~



台東を出発して、およそ20分
列車は、台湾きっての米どころを、北へと走っています

午前6時58分、池上駅に到着です

ベーンターン、とは、お弁当のこと
周辺でとれる最上級のお米で作ったお弁当を
おばさんたちがホームで売りさばきます

ただし、販売時間は、一台の列車につき
たったの2分だけ!

おばちゃんは
乗客めがけて、ホームを駆け回ります!

そこへこれから乗り換えるキョコウ号が到着しました

おばちゃん、本当にご苦労さま

たわわに実る稲穂を眺めながらのお弁当は、贅沢なものです






No.7823 2月24日(火曜日) 「綱引き天国」

~今日は、キョコウ号の車内の様子をご覧ください~



急行列車、キョコウ号は
花蓮の街を目指し、北へと走り続けます

こちらは
これから台北で綱引き大会に出場するという学生たち
作戦会議の真っ最中です
 
誰を先頭に立てるか、いかにバランスをとれば
重心を下げられるかがポイントのようです

綱引き専用の靴を、見せてくれました

底には、泥の塊!
これまでの練習の跡が見えますねぇ
 
そしてこちらは、ユニフォーム 綱の摩擦に耐えられるよう
厚いフェルト生地で出来ています

練習の成果、十分発揮できるといいですね!





No.7824 2月25日(水曜日) 「台湾のグランドキャニオン」

~今日は、花蓮に到着します~



池上駅を出発しておよそ2時間半
急行列車キョコウ号は
中央山脈に沿って北へと走っています

午前10時17分
列車は定刻通り、花蓮駅に到着しました

台北から南東に196キロにあるこの駅は
台湾有数の景勝地、太魯閣渓谷への最寄駅となっています

「台湾のグランドキャニオン」とも称される太魯閣渓谷
そそり立つ断崖絶壁の岩山が
23キロにも渡って連なっています

渓谷に沿って続く道路は、かつて蒋介石とともに
大陸から渡った兵士達によって作られました

時を経てなお、勇ましい男達のかけ声が
天高くこだましているかのようです



No.7825 2月26日(木曜日) 「俊足 太魯閣号で出発」

~今日は、花連を出発します~



台湾一周、およそ900キロの旅も
ここ花蓮駅からの乗車が最後となりました
 
ここから北へ196キロ、台北の街を目指します

乗車するのは、台湾鉄道が誇る最新型特急列車、太魯閣号

今台湾で最も人気の列車で、全席指定の乗車券は
数ヶ月前に完売してしまうほどです

台北までおよそ2時間の短い旅が始まりました

太魯閣号の最大の魅力は、何と言っても
山に海にと、車窓を次々と流れて行く風景です

出発から20分
列車は旅のハイライト、清水断崖を過ぎ
さらに北へと上ります





No.7826 2月27日(金曜日) 「太魯閣に揺られて」

~今日は、太魯閣号の車内の様子をご覧ください~



太平洋に沿って、北へと走る太魯閣号
台北までは残り、およそ1時間です

太魯閣号は、2007年に運行が始まった、俊足な特急列車

シートは、ビニールレザーが張られ
日本のグリーン車に負けない広さになっています

随分と、快適なようですねぇ

太魯閣号はまた、台湾で初めて
振子式走行を導入した列車でもあります
 
急なカーブを曲がる際
振子のように車体を斜めに傾けることで
速度を落とすことなく、揺れを軽減できます

この振子走行のおかげで、花蓮-北間の走行時間を
45分も短縮しています






No.7827 2月28日(土曜日) 「『悲情城市』の街」

~今日は、沿線の街を紹介します~



台北に向かって北へと走る太魯閣号
その沿線には、ジョウフェンという街があります

ここは、1989年に製作された
ホウ・シャオシェン監督の映画『悲情城市』の
ロケ地となった街

入り組んだ路地には、カフェや雑貨屋が点在し
町全体がレトロな風情に包まれています

休日ともなれば、国内外から
一日およそ5千人もの観光客が訪れる
台湾屈指の観光名所です

こちらは、名物の芋団子で作ったおしるこ

なんとも、豪快ですね

すぐ近くの港に上がる新鮮な魚も
すり身団子にしてスープで頂きます
 
ダシがしっかり出ていて、病み付きになる味です





No.7828 3月1日(日曜日) 「台北ふたたび」

~今日は、台北に到着します~



台北を基点に始まった台湾一周の旅も
終わりに近づいています

太魯閣号の車窓に基隆河が見えはじめたら
台北の街は、もうすぐそこです

最後はしばらく、地下の旅が続きます

台湾一周、およそ900キロの道のりを経て
ふたたび台北駅に降り立ちました

出迎えてくれたのは、大都会の喧騒…
不思議と、心地よい安堵感さえ覚えます
 

「甲子園、なんていい場所や」初勝利に沸いた立命館宇治

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37年ぶりの立命館宇治の夏の躍進は、2回戦で幕を閉じた。1回戦では夏の初得点をあげ、春夏合わせて6回目の甲子園で初勝利をもぎ取った。2回戦では夏の初適時打がとびだし、プロ注目の好投手の速球にも振り負けなかった。担当記者が熱戦を振り返った。

1回戦では、45年ぶり出場の秋田中央とぶつかった。0―0の投手戦が続いたが、七回に敵失の間に先制した。前身の宇治時代を含め、これが夏のチーム史上初得点だった。

 エース高木要君は被安打3で完封。五回以降、5四球を与えたが、粘って逃げ切った。「立ち上がりは緊張したけど、自分らしい投球ができた。みんなが1点を守ってくれた」。無失策の野手に感謝した。

 本塁を踏んだのは2年の宮下力君。右前安打で出塁し、敵失の間に本塁に滑り込んだ。「聖地で歴史に残るホームインができてうれしい」と喜んだ。一つひとつのプレーに大歓声があがり、「これが甲子園なんや。なんていい場所や」と感じた。

 約3500人が詰めかけた応援席は、甲子園の初勝利に大盛り上がり。甲子園の初戦で敗れたOBたちも駆けつけ、壁を突き破った後輩をたたえた。

     ◇

 2回戦では、大会屈指の好投手がいる星稜(石川)と対戦した。5点を追う厳しい展開で、五回まではわずか1安打。先発の2年生右腕を打ちあぐねた。

 最大の見せ場は六回にきた。2死から3連続適時打。まず一、三塁で、2年の荒井豪太君が左前にはじき返し、四球で出塁していた宮下君が生還。これが夏のチーム史上初の適時打となった。続く古賀風地(ふうじ)君は中前に鋭い打球をとばし、2点目をあげた。

 ここで投手交代。エースの奥川恭伸(やすのぶ)君がマウンドに向かった。一、二塁の好機で、今野優斗(ゆうと)君が打席へ。投球練習を見て「やはり速いな」とは思ったが、ついていける気もした。

 チームは初戦から2日後の9日から奥川君対策として、投球マシンの球速を150キロに上げた。なかなか触れず、当たっても前に飛ばなかった。ちょっと打てるようになったのは、対戦前日の12日だった。

 2球目の147キロの直球をコンパクトに振り、左前に運んだ。「好投手から打てば目立つなと考えていた」。勝負どころでも落ち着いていた。

 八回の打席では2度目の対決。149キロの直球を見送り3ボールに。最後は外寄りの低めの変化球。フルカウントで自信をもって見逃し、バットを投げて一塁へ向かおうとしたが、判定はストライク。球はよく見えていた。

     ◇

 選手たちは14日午前9時ごろ、宇治市の練習場に戻り、部員たちや保護者に大きな拍手で迎えられた。

 里井祥吾監督は今チーム最後のミーティングで、今大会限りで退任する石川順久(のぶひさ)部長(60)のことに触れた。「石川先生が今年の夏で最後やというときに、最高の結果を出せたのは全員の大きな力があったから。よき伝統を後輩に残してくれた」。石川部長は「甲子園に行ったことを励みにして、これからの人生を歩んでほしい」と伝えた。

 この日から新チームが始動。甲子園メンバーの2年生も加わり、練習で汗を流した。新主将に監督が指名したのは岡田蒼司(そうし)君。甲子園でも京都大会でも一塁手で2番打者。甲子園の2回戦ではチーム唯一、2安打を放った。

 「これまで先輩に引っ張ってきてもらった。今度は自分たちが引っ張り、新チームでも甲子園をめざす」と岡田君。甲子園の初戦では5人、2回戦では4人の2年生が先発しており、経験を積んだメンバーが多く残った。

 副主将に選ばれた捕手の浅野彰久(あきひさ)君は、甲子園で4番を打ったが、緊張もあって安打は出なかった。「チャンスで打てなかったり、配球ミスがあったりして悔しい。課題を克服し、またあの場に立ちたい」と意気込んだ。

【朝日新聞】
 

 「和の祭典」出演 着物モデル募る 琵琶湖撫子協会

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近江神宮で行われた昨年の着物ショーの様子




和文化の愛好者で作る「琵琶湖撫子(なでしこ)協会」などは、びわ湖大津館(大津市柳が崎)で11月23日に開催するイベント「和の祭典 近江のおもてなし」の着物ショーに出演する女性モデルを募っている。

 ショーでは、昔ながらの髪形で江戸時代の着物をまとったり、リメークした着物を現代風に着こなす演出を予定する。実行委員長で「2012年びわ湖きものの女王」の宇野ひと美さん=滋賀県草津市=が歩き方の指導や演出を行い、プロが着付けや髪結いを行う。

 宇野さんは「代々受け継がれてきた着物を羽織った時に感じる『暖かさ』をぜひ体感して欲しい」と呼び掛けている。

 18歳以上が対象。定員20人。8月末までにイベントのホームページから申し込む。
 
【京都新聞】
 

オークションに日本兵遺品 日章旗など米から遺族に返還

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遺族らに返還された日章旗やのぼり旗(大津市・県庁)




太平洋戦争に滋賀県から出征した兵士の遺留品4点の返還式が8日、大津市の県庁で行われ、米国に渡った寄せ書き入りの日章旗や、夫の無事を祈る妻の手紙などが遺族らのもとに戻った。戦後74年を経て手にする品に「感無量」と涙ぐむ人もあり、参加者は戦没者に思いをはせ、恒久平和を願った。

 日章旗などは戦地から米兵が当時持ち帰った品とみられ、遺品整理やオークションで見つかった。遺留品を遺族に返す活動をしている米国の非営利団体「OBON SOCIETY(オボン ソサエティー)」を通じ、保管していた米国人や仲介者からの手紙やメッセージを添えて遺族に返された。

 遺族を代表し、滋賀県東近江市の山本謙一さん(76)は「心を込めてご苦労さまでした、お帰りなさいと声をかけたい」と述べた。「必勝不敗」などの言葉が墨書きされた日章旗は、謙一さんの叔父敏雄さんに贈られた旗。特攻隊員だった敏雄さんは若くして戦死し、遺品がなかったという。

 遺留品は他に、愛荘町出身の満島政男さん、日野町出身の歯黒八郎さん、長浜市出身の太田有恒さんの手紙や旗で、三日月大造知事からそれぞれの縁者に手渡された。滋賀県遺族会の大長弥宗治会長は「古里へ帰りたいというみ霊の思いが通じたのだと思う。古里で安らかに眠ることを切に念ずる」と述べた。

【京都新聞】
 

京アニ作品「響け!」モデルの高校 悲しみ深く

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劇場作品「響け!ユーフォニアム」が掲載されている莵道高の学校案内パンフレット。
同高の藤棚や眺望が描かれている




繊細でリアルな描写は、丁寧な現場取材に裏打ちされていた―。京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオの放火殺人事件で、本社がある宇治市を舞台にした作品「響け!ユーフォニアム」のモデルとなった高校には、作品づくりのため同社スタッフらが足を運んでいた。「熱心に校内を撮影する姿が思い出される」。対応した学校関係者はそう口をそろえ、今回の事件に深い悲しみを抱いている。

 「響け!ユーフォニアム」は、コンクール金賞を目指し、吹奏楽に打ち込む部員らの日常や友情を描いた青春ドラマ。主人公らが通う「北宇治高」は架空の設定だが、たびたび登場する音楽室は東宇治高(宇治市木幡)がモデルだ。

 最初の作品が放映される前年の2014年、東宇治高吹奏楽部は実際のコンクールの舞台裏も含め3日間ほど、複数のスタッフの「密着取材」を受けた。

 吹奏楽部の近藤和郎顧問によると、スタッフは音楽室や渡り廊下などの撮影に加え、ユーフォニアムをはじめ楽器の写真を撮ったりサイズを測ったり、演奏する部員の指の動きや口の形などもつぶさに観察して記録していた。劇場作品の取材で昨年対応した飯田欣吾副校長は「机の細かい傷など細部にカメラを向ける姿が印象に残っている」と振り返る。

 近藤さんは、後に送られてきた作品を当時の部員たちと見た。「キャーキャーと歓声が上がり、登場人物の髪形から『これって私ちゃう?』とうれしそうに話す生徒もいた」と語る。

 もっとうまくなりたい。絶対に負けたくない。部活動に懸ける高校生たちのそうした心理も見事に描き出しているとし、「アニメに真剣に取り組まれる姿に私も刺激を受けた」。作中のシーンに触れ、生徒の発奮を促すこともあるという。

 身近で大切な作品だから一層、「事件はあまりに大き過ぎて、かなり落ち込んだ」と近藤さん。しかし府大会のコンクールが迫る中、部員には「いま自分たちがすべきことを精いっぱいやり切ろう」と話したという。吹奏楽部は6日のコンクールで金賞に輝いた。

 北宇治高の正門や校舎などは、莵道高(宇治市五ケ庄)がモデルになった。17年と18年にスタッフを迎えたという左近正則・前莵道高副校長=現・城南菱創高副校長=の目にも真剣な姿が焼き付いている。

 「3~4時間おられ、後方も撮影できるカメラで廊下などを撮られていた。蛇口を見つめ、しずくがポチャンと落ちる様子をじっと撮影していた姿が特に印象深い。好きじゃないとできない熱心さで、作品を見ると写真と見違えるほどそのままで驚いた」

 藤棚がある敷地内の高台と通学路のシーンは許可を得て、中学生向けの学校紹介のパンフレットにも掲載した。「作品のモデルにしていただき、うれしく、誇らしく、感謝の思いでいっぱいだった。京アニ作品がこんなに愛されていることを事件を通して知るとは。許しがたいし、ただただ、悲しい」

【京都新聞】
 

京アニ、被害者の在席フロア判明 3階で20人が死亡

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京都アニメーション火災現場と在席位置




京都市伏見区桃山町因幡のアニメ製作会社「京都アニメーション」(京アニ)第1スタジオが放火され、男女35人が死亡、30人以上が重軽傷を負った事件で、京都府警捜査本部は14日、被害者が事件当時に在席したフロアを明らかにした。3階にいた27人のうち20人が亡くなるなど、上階ほど甚大な被害が生じた実態が明らかになった。また、負傷者が新たに1人増えて34人になり、死傷者は計69人になった。

 第1スタジオには当時、20~61歳の従業員計70人が在席していたが、無傷で助かったのは1人だけだった。府警は同日までに、建物内にいた70人に対する殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの疑いで、青葉真司容疑者(41)の逮捕状を取り直した。

 府警の説明では、犠牲になった人が最も多かったのは3階で、27人のうち7割を超える20人が亡くなった。いずれも屋上に通じる階段で、折り重なるように倒れていた。2階は32人のうち11人で、1階は11人のうち4人だった。3階にいて助かった人の大半は、2階に降り、ベランダから飛び降りるなどしたという。

 犠牲者35人の死因は焼死22人、一酸化炭素中毒5人、窒息死5人、全身やけど2人、不詳1人。重軽傷者34人のうち、8人が入院中で、うち4人は重体という。

 事件は7月18日午前10時半ごろに発生。青葉容疑者が第1スタジオ1階でガソリンをまき、放火したとされる。青葉容疑者自身も全身に重いやけどを負い、大阪府内の病院で治療を受けている。

 青葉容疑者は現場付近で身柄を確保された際に「小説を盗まれたから火を付けた」と話していた。その後、青葉容疑者と同姓同名の人物が過去に京アニに小説作品を応募し、1次選考で落選していたことが判明している。

【京都新聞】
 

金馬奨ボイコットせず 中国監督のドキュメンタリーが参加を表明

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ドキュメンタリー「少年問道」の出演者とチュウ・ユー監督(手を振る女性)



(台北 15日 中央社)中国当局が台湾で11月に開かれる映画賞「ゴールデン・ホース・アワード」(金馬奨)への中国の映画や関係者の参加見合わせを発表した中、中国の映画監督、チュウ・ユー(朱イク)のドキュメンタリー映画「少年問道」が参加を取り止めない方針であることが分かった。参加を公表した中国映画は現時点で同作のみ。(イク=曰の下に立)

金馬奨は中華圏で最も名誉ある映画賞の一つで、今年で56回目を数える。例年は中国映画も多数出品されていた。昨年の授賞式では、台湾、中国の映画人がそれぞれステージ上で台湾の地位を巡る発言を行い、中国の俳優、監督らは式典後のパーティーにこぞって欠席。今後の金馬奨への中国作品の出品を危ぶむ声が上がっていた。

「少年問道」は中国の道教学院の研究生4人が北京から山東までを15日間かけて行脚する姿を追った作品。

映画会社は、同作は初志貫徹で金馬奨への応募を堅持したと説明。チュウ監督は授賞式前に開かれる映画祭期間中の訪台を期待し、台湾の映画人や道教信徒と交流したいと考えているという。

台北金馬国際映画祭は11月8日~24日、授賞式は23日に開かれる。

香港情勢悪化 中国は「外部への責任押し付けやめよ」=蔡総統

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蔡英文総統(手前)



(基隆 15日 中央社)中国の対台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官が与党・民進党について、香港に干渉する黒幕だと非難したことに対し、蔡英文総統は14日、「情勢悪化の責任を存在しない外部の介入に押し付けるのはやめよ」と述べた。

民進党の卓栄泰党主席(党首)は12日、香港デモに人民解放軍は介入すべきでないとフェイスブックに投稿。14日付の台湾の大手紙、中国時報(電子版)によれば、馬報道官がこの投稿に対し、香港の事態という火に油を注ごうとしているなどと批判。民進党が香港への干渉をやめなければ報いを受けることになると述べたという。

イベント出席のため、14日に北部・基隆を訪問した蔡総統。メディアの取材に応じ、香港市民の自由や民主主義の追求を支持するとの立場を改めて示した上で、「支持はするが、介入はしない」と言明。北京と香港の当局に対し、人々との対話を拒絶するべきでないと呼び掛けた上で、「誤った判断により、歴史に無残な結果を残してはいけない」と中国軍の介入をけん制した。

中央社董事長、高知県の国際親善大使に就任 台湾への観光PRに協力

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高知県の尾崎正直知事(左)から委嘱状を手渡される中央通訊社の劉克襄董事長
 




(高知 15日 中央社)生態作家の劉克襄・中央通訊社董事長(会長)は9日、高知県の観光キャンペーン「リョーマの休日~自然&体験キャンペーン」初の国際親善大使に任命された。高知県庁で尾崎正直知事から委嘱状を手渡された劉会長は、高知の観光PRへの貢献に意欲をみせた。

劉会長は歴史や自然への造詣が深く、エッセーや小説を40冊余り出版。台湾や香港に多くの読者を抱える。尾崎知事は今年2月に台北の中央社本社を訪れた際、劉会長の協力を打診していた。県は劉会長の国際親善大使就任によって歴史や文化、自然、アクティビティなどの情報発信を強化し、台湾や香港などでの訴求力を高めたいとしている。

尾崎知事は劉会長に高知の伝統の旗「フラフ」とよさこい祭りで踊りに使われる「鳴子」を贈呈。劉会長は東部の離島・蘭嶼のトビウオのイラストが描かれた陶器と、86歳の母親が高知の名所を題材に描いたポストカードサイズの絵4枚を尾崎知事に贈った。劉会長の母親は日本の教育を受け、日本の多くの地域を訪れたことがあるが、四国には行ったことがなく、息子が高知を訪問すると知って2カ月をかけて絵を仕上げたという。

劉会長は取材に対し、「ガイドブックには載っていない部分をより多く紹介し、多くの人に理解を促す役割を担いたい」と意気込んだ。

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