石田さんの部屋に設けられた祭壇の前で、遺影を見つめる両親。
本棚には手がけた作品のDVDも並ぶ(京都市伏見区)
両親だけで過ごす娘の誕生日。遺品整理もままならぬ日々-。京都市伏見区の「京都アニメーション」(京アニ)放火殺人事件の発生から1カ月。かけがえのない存在を失った遺族は悲しみのただ中にいる。犠牲になった石田奈央美さん=当時(49)=と津田幸恵さん(41)の遺族は、心をかき乱されながらも発生当初から報道各社の取材に応じ、娘の足跡を語り続けてきた。
■「作品は永遠に残る」
8月6日は石田さんの50回目の誕生日になるはずだった。伏見区の一軒家で石田さんと暮らしてきた両親は、赤飯を炊き、ケーキを買って家族水入らずで祝うのを恒例にしていた。今年は石田さんの遺影に白米を供えた。「こちらがみとってもらおうと思っていたのに」。母親(78)が声を詰まらせた。
両親はこの1カ月、娘が生きていた証しを残したいと取材に応じ続けた。娘の名前や功績が知られ、誇らしく思う。半面、取材を受ける過程で残酷な事件にいや応なく向き合わされた。
娘を感じるよすがを探す中、手掛けた作品の存在が日増しに大きくなってきた。高齢の2人にとってこれまではアニメは遠い世界だった。父親(83)は「今まで見ようと思ったこともなかったんやけどね」と語る。事件後、みずみずしく透明感がある色合いを特長とする京アニ作品が世界中で愛され、娘が色彩表現の核を担っていたと知った。「あの子は死んでしまったけど、作品は永遠に残る」。今は、娘が情熱を傾けた作品を観るため、DVDプレーヤーを買うつもりにしている。
この事件では、京アニから実名発表を控えるよう要請された京都府警が、1カ月たった今も大半の犠牲者の実名を公表しない異例の事態となっている。母親は匿名を望む他の遺族の心情もおもんばかる。「若い人が多い。自分の子供が悲惨な死に方をしたと広く知られたくないと思う気持ちもよく分かる」
■「悲しみはくみ取り切れない」
兵庫県加古川市にある津田幸恵さんの父伸一さん(69)の自宅では、幸恵さんの遺骨の横に猫の遺骨が並んでいる。昨年亡くなった幸恵さんの愛猫「ユキ」のものだ。
「葬儀に間に合うように、幸恵の家から持ってきたんです」。愛情を注いだ猫をそばに置いてやりたいという親心からだった。
幸恵さんが猫好きになったのは、会社に居ついた猫の世話をしたのがきっかけと聞いた。約6年前に幸恵さんが自分で飼い始めると、帰省は日帰りになった。「猫の世話があるからしゃあないな」。同じく猫好きの伸一さんは娘の気持ちが理解できた。それでも、幸恵さんは盆と正月には顔を見せてくれた。病気の母親が移動しやすいようにと、こつこつ貯めたお金を使って車を買おうとしてくれるほど親思いだった。
伏見区にある幸恵さんの自宅に残る遺品の整理は、あまり進んでいない。「取材に時間を取られ、1カ月が過ぎ去った」
取材に応じてきたのは、ファンを含め周囲にはっきり事実を伝えたかったからだ。しかし、さみだれ式に報道各社から取材申し込みがあり、心労は重なった。
「聞かれれば答える。だが、どれだけ取材を尽くされても、私の悲しみはくみ取りきれないと思う」。容易に言葉にできない深い悲しみの中で、今は静かに悼みたい-。それが、偽らざる思いだ。
■遺族傷つけるリスクと葛藤 京都新聞取材班
京都アニメーション放火殺人事件で京都新聞社の被害者取材班は1カ月間、遺族への取材のあり方を模索してきた。遺族取材は最愛の存在を失った人の心を傷つける恐れをはらむ。マスコミ批判が社会の中で高まっていることも事実だ。取材する側の倫理が問われていると考え、取材を振り返った。
取材班では、犠牲者の足跡を詳細に紙面へ刻むことは、被害の実態を伝える力を持つとの思いを共有し、中でも犠牲者と近しかった人の言葉は重いと考えてきた。
遺族の多くは取材を受けられる心境ではないと思われるが、一度は本人に取材の諾否を確認することを方針とした。接触を試みたが、「勘弁してください」などと取材拒否だった場合は手紙を書き置くなどして来訪をわび、立ち去った。玄関前に張り紙があるなど拒否の意思が明確な際は呼び鈴を押すことも控えた。意思確認において、遺族の負担を可能な限り減らす方法を試行錯誤した。
メディアスクラム(集団的過熱取材)を避けるため、遺族宅周辺などの聞き込み取材は最小限にとどめた。だが、初めて訪れた地域にもかかわらず、住民から「一体、何回来るのか」と非難されたこともあり、メディア不信の広がりをうかがわせた。
応じてくれた数少ない遺族も取材への不満を口にした。犠牲になった津田幸恵さんの父親は、悲しみにうちひしがれる中、取材で質問を重ねられると「余計なことは止めてくれ、という思いになる」と語った。
遺族の声を伝える意義と、取材につきまとう「暴力性」との間のジレンマとどう向き合うのか。今後も検証を深め、記事で答えていくしかないと考えている。
【京都新聞】