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「豊臣方が京都で放火画策」 大坂夏の陣前にオランダ人書簡

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オランダのハーグ国立文書館で、大坂夏の陣前後の書簡を調べるクレインス准教授



放火しか考えていない(豊臣秀頼方の)悪党が京に多くいる-。大坂夏の陣直前の洛中の状況を克明に記した記述が、当時、京都にいたオランダ東インド会社商務員の書簡で確認された。国際日本文化研究センター(京都市西京区)のフレデリック・クレインス准教授が和訳した。二条室町の商人宅に滞在中だった商務員が書いており、「町衆に近い目線で記した貴重な資料」という。

■日文研准教授「町衆に近い記述」

 書簡はグレゴリオ暦(太陽暦)1615年5月28日(和歴5月1日)付で長崎の平戸商館長宛て。オランダのハーグ国立文書館に現存している。明治期に刊行が始まった日本史資料集「大日本史料」(東京大史料編纂(さん)所編)に一部が和訳されているが、今回初めて全文訳が判明した。

 駿府記など古記録によると、当時、徳川方の大名・古田織部に仕えた木村宗喜が豊臣方と内通。二条城にいた家康が大坂に出陣後、京都に忍ばせた者たちに京中に放火させ、家康の退路を断とうと画策した。「土御門泰重卿記」は「大坂ヨリ火付三百人京都ニカクレ」と記す。だが、計画は露見し、木村宗喜ら数十人が捕らえられたという。

 商務員の書簡では当時の状況を<一人でいると、どんな災いに遭遇するか分からない。現在、当地(京都)に多くの悪党や盗賊がおり、毎日捕まっている><彼らは京都の町に放火することしか考えていない>などと記していた。

 その半月前の5月10日(和歴4月13日)付書簡では<京都の人々は(豊臣方による)焼き打ちを恐れ、多くの荷物を安全な場所に持ち去った>としつつも<毎日、多くの(徳川方の)大名や兵士が京都に到着している>ことで<焼き打ちに遭う恐れがなくなっている>と記述。人々が安堵(あんど)していた様子がうかがえるが、内通者による放火は想定外だったようだ。クレインス准教授は「当時の記録は武士や公家のものが多い。町衆に近い記述は意義深い」と話す。

・オランダ東インド会社 東洋進出を目指し、オランダが1602年に設立した貿易会社。ジャワ島のバタビア(現ジャカルタ)を拠点に香辛料などの貿易を進めた。日本では09年に江戸幕府から貿易の許可を受けて平戸に商館を開いた。18世紀に入ると利益が減り、1799年に解散した。


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