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幻の西郷像、京都に建立計画 上野の除幕10年前に

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京都で建立の計画があった西郷隆盛像のイメージ図(霊山歴史館蔵・提供)



明治維新の立役者、西郷隆盛の銅像が京都に建っていたかもしれない-。「幻の西郷像」の構想があったことを示す史料が、京都市東山区の霊山歴史館で見つかった。明治時代に東京・上野で西郷像が除幕する10年も前に、清水寺(同区)の参道沿いに西郷像の建立計画が持ち上がっていたことが分かる史料で、京都での西郷の人気ぶりがうかがえる。

 新史料は「西郷隆盛翁記念碑建設目論見ニ関スル書類」。清水寺寺侍で志士だった近藤正慎(しょうしん)の末裔(まつえい)から同館に寄贈された。

 1888(明治21)年に京都で西郷像を建てる計画を記した書簡で、植田楽斎という人物が発起人となっていた。また、当時の建築家・河合浩蔵(こうぞう)が設計した軍服、騎乗姿の西郷像のイメージ図もあった。77(同10)年に西南戦争で西郷が自刃して10年前後という早い段階で銅像建立の運動が京都で起きていたことが分かる。

 史料を読み解いた同館の木村幸比古副館長(69)によると、西郷像の建設予定地は、現在の清水坂観光駐車場辺り。薩摩藩士の樺山資紀(すけのり)や綾部藩士の九鬼隆一の呼び掛けに、西郷の弟・従道も賛同したが、発起人の植田が亡くなり、立ち消えになったという。

 植田は、幕末に薩摩藩と親密だった公家の嵯峨(正親町三条)実愛(さねなる)の近親者。「嵯峨実愛日記」によると、実愛は薩摩藩の大久保利通や小松帯刀と頻繁に面談しており、西郷ともつながりがあったとみられる。

 木村副館長は「西郷を慕って植田が提唱したとみられ、公家から西郷への信頼を示している。京都の復興と西郷の復権と合わせて盛り上がった運動と考えられる。立派な像を見れば、西郷の妻イトも納得しただろう」と話している。

 書類とイメージ図は、同館で3月18日まで開催中の「大西郷展」(第1期)で展示している。
(京都新聞)


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