即位の礼で用いられてきた高御座(京都市上京区・京都御所紫宸殿)=2011年5月
天皇陛下が退位し、皇太子さまが新天皇に即位されるまで残り1年になった。古来、即位の礼で中心となる即位を宣言する儀式の場が高御座(たかみくら)だ。京都御所(京都市上京区)の紫宸殿に安置されており、宮内庁は今後、解体して今夏にも皇居に陸路で移送、修復作業を行う予定だ。1990年に行われた平成の即位式の時も高御座は解体された。この時の作業を担当した元宮内庁京都事務所職員の岡本和彦さん(65)=大津市=が、京都新聞の取材に応じ、秘密裏に進められた作業の様子や、高御座に施されていた高度な技術について語った。
■直前にゲリラ事件
岡本さんによると、高御座の調査と解体は平成に代替わりした89年の11月27日から90年5月28日まで実施され、建築や漆、きれなどの専門家が携わった。90年1月に京都御苑で天皇制に反対する過激派のゲリラ事件が起きた。秘密保持もあって作業は高御座の周りをシートで覆って行われた。「『解体』は言葉のイメージが悪いので、『調査』と呼んでいた」(岡本さん)
解体は試行錯誤だった。岡本さんの説明では、高御座は移動のために解体できるように造られている。戦時中に修学院離宮(左京区)に疎開し、46年に京都御所に戻された。この時も解体されたとみられるが、その技術を知る人や図面は残っていなかった。
■手探りの経験が今回に
最初に一番上の鳳凰を外した。解体を進めると、高御座の仕組みが次々と判明した。各部材に「イロハ」と数字が彫られていて、例えば「イ」や「3」などの部材同士を組み合わせていくと、元通り完成する。くぎは使われず、木のかんぬきでつなぐ技法が用いられていた。
作業最終日の翌日、梱包(こんぽう)された部材がトラックに積み込まれて、秘密裏に陸上自衛隊桂駐屯地(西京区)からヘリで東京に空輸された。儀式がある皇居・宮殿「松の間」の大きさに合わせるため側面の階段を外して組み立てられた。外した部分に高欄を新設し、階段で隠れていた箇所に絵を描き加えた。
岡本さんは「今の高御座は大正、昭和、平成、今回と4代にわたって使われる。私たちは手探りだったが、あの時の経験は今回、役に立つはず」と感慨深げに語った。