台湾の国防部(国防省に相当)は9日、南部・高雄市にある台湾最大の軍港、海軍左営基地の一部を内外メディアに公開した。海軍が毎年1回、基地を一般公開するイベントの事前取材で、今年は左営の番だった。旧日本海軍の基地に由来する左営を訪れた。
日本時代の面影は…
高雄市政府文化局の資料によると、日本が左営軍港の建設を計画し始めたのは昭和12(1937)年。昭和15年に工事が始まり、18年4月に澎湖諸島にあった馬公警備府が移転し、高雄警備府となった。当時の面積は3700万坪(約122平方キロ)で、南方展開の拠点となった。終戦直前に当時の海軍士官だった中曽根康弘元首相(98)が駐在したことや、李登輝元総統(93)の兄が海軍特別志願兵として一時配属されたことでも知られる。
現在は、約20平方キロに約7000人の海軍将兵が勤務する。海軍司令部は台北市内の国防部近くにあるが、左営には艦隊を統括する艦隊指揮部のほか、海軍陸戦隊(海兵隊)の指揮部や海軍士官学校など関連施設が集まり、海軍の中心的な施設となっている。
国防部が手配したバスで門を入ると、塀の外側に日本家屋とおぼしき瓦屋根の建物が目に入る。屋根が崩れ落ちているものもあるので、当時の家屋なのだろう。当時の宿舎は終戦後、国民党政権が接収し、「眷村」と呼ばれる軍関係者の居住地となった。現在、高雄市が「文化景観」として紹介している。
ただ、公開された埠頭(ふとう)までの道のりに日本時代を彷彿(ほうふつ)させるものはほとんどなく、案内の士官に「当時の建物はありますか」と聞いても「分からない」という返事だった。士官学校には旧海軍の駆逐艦「雪風」のスクリューが展示されているのだが、それも「知らない」と答えが返ってきた。
さまざまなデモンストレーション
基地内には複数の埠頭があり今回、公開されたのは、艦隊指揮部の前にある東登埠頭だった(2014年7月に取材で訪れた際に撮影した別の埠頭も写真があるので添付する)。埠頭では、まず、陸戦隊儀仗兵(ぎじょうへい)によるドリル演技と一般公開ならではの出し物だという先住民の踊りが披露された。埠頭には、水陸両用装甲車AAV7などの海軍陸戦隊の装備や対艦ミサイル雄風2の輸送車両が展示されていた。埠頭の奥には各種艦艇が停泊していたが、艦艇は「時間がない」という理由で見学できなかった。
台湾が自主開発した高速ミサイル艇「光華6号」4艘が港内を航行した後、対潜ヘリS70Cなどが上空を飛行。1944年に戦車揚陸艦として米国で就役し、台湾に引き渡されて上陸指揮艦となった「高雄」を“舞台”に、特殊部隊による海賊鎮圧のデモンストレーションが行われた。